食物アレルギーとわたし

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2023.09.01

食物アレルギーとわたし

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■   まえがき
■□  新連載:食物アレルギーとわたし
■□■ 連載:吃音のある子どもの自己理解とは
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■□ まえがき ■□-------------------------
今回から連載「食物アレルギーとわたし」がスタートします。著者の栗田洋子さんはご自身のお子さまの食物アレルギーの発症からたいへんなご経験をされました。それを多くの方に知ってもらうことで、アレルギーを持った子どもたちとその子に関わる人たちがより快適に過ごせることを目的として、さまざまな活動をされてきました。エッセイを書かれ、また、体験を伝えるためのツールとして絵本を作られました。エッセイの講座を受講され、絵本専門士の資格もとられました。

今回の連載で栗田さんのご経験を通して、食物アレルギーについて知っておいてほしい様々な事柄についてご紹介できればうれしいです。


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■ 新連載:食物アレルギーとわたし
             第1回 どうしてわたしは動くのか?
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「食物アレルギーがあっても笑顔でいて欲しい」そう願いながら、手づくり絵本『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』、絵本『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』(2014年ポプラ社刊、2020年電子書籍となる)、絵本『ともくんのほいくえん』(2020年明元舎刊)を持って全国47都道府県を回ってきました。

「聞いたことがない本」「読んだことがない」と言う方が多いと思います。自分の足で47都道府県の役所、図書館、保健センター、園、学校、病院等々回ってきましたが、「知っています」「読みました」と言われる方と出会うことは、本当に少ないです。つい先日、宮崎県、大分県を回った際もそうでした。

ところが、アレルギー関係の学会では状況が違います。絵本の表紙がついた名刺をお渡しするだけで気づいてくださる方も少なくありません。絵本の感想を「いいですね。使えます」と言っていただいた方も本当にたくさん出会ってきました。

絵本『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』、絵本『ともくんのほいくえん』は、各々アレルギー専門医に監修していただきました。それはなぜか、、、生命に関わるような重いテーマを描く絵本だからです。特に『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』は、重度の食物アレルギーを描いています。知ってもらうことは大切ですが、知らせることによる危険も頭に置いて描かなければなりません。絵本が社会に出て行った時の社会的影響も考えながら、各々内容を詰めました。

『ともくんのほいくえん』の時は、印刷の前に内容のわかる簡易本を持って横浜まで行き、医師、患者の保護者に見ていただき率直な意見を伺いました。そのなかで寄せられた声を残りわずかな日数でどう生かすか、貼り絵に協力してくれた戸松さんとも話し、できうる限りの変更をしました。期限ぎりぎりに何とか間に合わせ、印刷所に持ちこんだ時には糊がべたべたの状態でした。

わたしが絵本を作り、その絵本を持って動き始めたのには理由があります。

2005年秋、突然自身の病気、脳腫瘍を告げられたのです。この時、娘は小学校3年生でした。そして気づかされたのです。本当の意味で何が必要だったのかを。
 
2000年、2001年と娘は二度アナフィラキシー(後でこの言葉を知りました)を起こしました。「ピーナッツアレルギーです。触っても危険です。」と告げられた時、わたしは「自分が守ってやればいい」と覚悟を決め見守りを続けました。周囲の方とのやりとりも原材料の確認も医師とのやりとりも全てわたし一人で行っていました。

この間の5年半は一度もアナフィラキシーを起こしていません。その一方で、娘は自分で自分の大切な命を守る術を身につけていなかったのです。そう、親が手を出しすぎていたのです。一般的な子育てでも親がどう子どもをわが手から離していくのかは難しい問題です。かわいい我が子のあの激しいアナフィラキシー症状を目の当たりにしたことのある親ならなおさら難しく…不安と恐怖を抱えながら向き合わなければなりませんでした。そんななか「自分の代わりになる何かを残しておいてやらなければ」という強い思いに駆られたのです。

そこで思いついたのは絵本でした。我が子にたくさんの絵本や紙芝居を読んできた経験、お世話になっている小学校に何か返せるものがあったらと始めた読み聞かせボランティア活動での経験から、絵本なら周りの子どもたちにも読んで理解してもらえるかもしれないとの思いから制作を始めました。

ところがすぐ大きな課題にぶつかりました。絵が全ページ同じタッチで描けなかったのです。絵を描くのが好きだった長女や次男にも描いてみてもらったのですが、わたしの思い描く場面を全ページ同じタッチで描いてもらうことはできませんでした。発案者であるわたしは、もともと絵を描くのは得意ではなく、子どもたちに描いてもらう前に断念していました。焦ったわたしは絵本を諦め、本に切り換えました。体調も思わしくなく、次の手術の決断を迫られるなかでの判断でした。これには自分の幼い頃のある体験が根っこにあったことを随分あとで気づくのですが、それは後日機会があったらお話したいと思います。

話を元に戻しますね。「文だけなら書けるかもしれない」そう思ったのです。すぐ通信のエッセイ教室を申し込みました。教材が届き、書き始めたのは、病院のベッドの上でした。この時わたしは、主治医から勧められた3年に1度繰り返す可能性の高い開頭手術を断わり、当時まだ学会でも発表されていなかったサイバーナイフという放射線治療を選択していました。

それから2年後だったか2年半後だったか忘れてしまいましたが、新しい主治医より「学会で発表がありました。効果があったかもしれませんね」と言われるまでの間、わたしは先の不安を抱きながら、「代わりになる何か」作りを模索し続けていきました。そして、自身の病気を機に気づかせていただいた、本当の意味での命を守るための見守りに切り替えていきました。体調が思わしくなく横になることも多く、枕の乾くことはありませんでした。「これでもか、これでもか」と奈落の底に突き落とされ続ける、あれがまさにそんな感覚だったのだと思います。車に載せてもらっていると、自分の意識とは別の何かが車のドアを開けようとさせるような不思議な感覚に何度も襲われたことを覚えています。魂が悲鳴をあげ、楽な道を選ぼうとしたのかもしれません。

2007年12月、わたしは1冊の手づくり絵本『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』を持って食物アレルギー啓発活動をスタートさせます。その後、2023年8月現在に至るまでの16年近くで何度も何度もつらい体験をします。心が悲鳴をあげ、涙が溢れて止まらなくことが何度もありましたが、魂が悲鳴をあげコントロールできないくらいの状況に落ちいったのは先程お話ししたあの時期だけでした。何が違うのか、今後その辺りもお話しできればいいかなって思っています。

絵本を使った食物アレルギーの授業をするため学校に伺った時、わたしは子どもたちによく聞くことがあります。「わたしは暗いですか?」です。子どもたちから返ってくる言葉は「明るい。元気!」という言葉がほとんどです。ここまで読んで心配になった方もおられるといけないと思い書き足しました。生きていると本当にいろいろなことがあります。命を絶たずにいられたからこそ、今があります。今を大切に生きたい!これは、そんなわたしのエッセイのようなものです。次回もおつきあいいただければ、うれしいです。

今回このお話をいただき、エッセイ教室の課題、その後書き上げたエッセイを読み返してみました。次回から2007年5月に書き上げたエッセイ「あなたを守りたい――ピーナッツアレルギーの娘を抱える母の叫び――」(一部修正を加えました)をお届けしたいと思います。
最近、講演の後によく聞かれることがあります。「どうしてそこまで動けるのですか?」その答えの一部が見つかるかもしれません。それではまた次回お会いできますように。

◆栗田洋子(くりたようこ)
食アレスマイルネット(愛知県岡崎市子育て支援団体・岡崎市市民活動団体)代表 
絵本専門士
絵本を持っての食物アレルギー啓発活動に加え、絵本や絵本の読み聞かせの大切さを伝える活動にも力を注ぎ続けている。
絵本『ともくんのほいくえん』、明元舎『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』ポプラ社
2017年度筑波大学同窓会茗渓会 茗渓会賞を受賞



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■ 新連載:吃音のある子どもの自己理解を育てていくための協働
             第2回 吃音のある子どもの自己理解とは
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〇他者理解と自己理解
親以外で、他者のまなざしを通して自身が他者からどう見られているのかということを感じ始めたのはいつごろでしょうか。私が覚えているのは幼稚園の年中組の頃でした。

当時、ひと月に1回程度、クラブ活動の時間が放課後に設けられていました。いわば幼稚園の場所を活用した習い事のようなものです。担任から勧められたのか自分で決めたのかは覚えていませんが、絵画クラブを選びました。

5月頃だったでしょうか、絵画クラブの教室に初めて向かうとき、担任の清水先生から2階の奥にある空き教室に行くよう指示されました。訪ねた教室の光景は今でもはっきりと思い出すことができます。机と椅子は教室の後ろ側に固めて置かれていて、中央に広い空間がありました。教室の床板はクレヨンや絵の具の跡で埋め尽くされていました。その床の上に画用紙数枚とクレヨンが無造作に入れられたブリキ缶が置かれていました。その横に真新しいクレヨンの箱があり、私はすかさず新しいクレヨンの箱を開けて描き始めました。この絵画クラブは私一人だけでした。しかも、担当者は担任の清水先生だったのですが、その辺りのことには構わず次々と描いていったと思います。頂点を左側に、二等辺三角形の車のボディと、そこから軸を2本真下に伸ばして先にタイヤを付けます。そんな車を3台並べて描きました。足長車のような格好です。当時はやっていたアニメのスポーツカーを模したものでした。

没頭して描いていたと思います。そのうち清水先生の声が耳に入ってきます。「へー」「これは何かな」「すごいね」「かっこいい」「絵が上手ね」と声をかけてもらいました。そこで、清水先生に絵の説明をしたと思います。それを、うなずきながら真剣に聴いてくださる先生の姿を通して(この人は、この絵を見てくれていて、そして楽しそうだ)といった初めての感情が湧き起こってきました。

私の気持ちは、絵から先生へと方向を変えていきました。好き勝手に描くのではなく、先生が見てくれているということを意識しながら描くようになります。私と絵という2つだけの世界から、先生が加わった3つの世界が生まれました。そうなりますと、いまから描こうとする絵を先生はどう見るのだろうか、絵を喜んでくれるだろうか、ほめてくれるだろうか、しっかり見ていて欲しい、そんな気持ちが膨らんできます。その後も清水先生は絵をほめてくださったのだろうと思います。気を良くした私は(この人は僕のことを大事に思ってくれている)と、あえてことばにするとそんな感情が生まれてきました。それは、何とも言えない安堵感と優しさのようなものを、清水先生のまなざしと態度によって伝えてもらえたからでした。

やがて清水先生のことが好きになりましたし、先生に嫌われないように、そして、僕のことをずっと見ていて欲しいという気持ちになりました。この出来事があって今も絵を描くことや物を作ることが好きです。楽しんでできるようになったのは清水先生のおかげだと思っています。これが私にとって、他者のまなざしを初めて感じることができたエピソードです。不思議と清水先生とクラスで日常どのようなやり取りをしたかは全く覚えていません。

他者のまなざしを受け、認めてもらえたと感じることを「承認」と言います。承認には他者からの承認として「他者承認」と、自身が自ら行う「自己承認」とがあります。他者承認をたくさん受けると自己承認が増していくと言われています。

吃音を伴って話す子どもが、やがて他者との違いに気づき、その違いをどのようにとらえ、吃音と付き合っていこうとするのか。これは吃音に限ったことだけではありません。

ところで、他者との違いを「個性」ということばでひとくくりにしてしまわれる人がいます。歌が上手な人、テストが得意な人、運動が得意な人、水泳が上手な人…、それらはみんな「その人の個性なんだ」と説明されます。いかがでしょうか。苦手な何かの代わりに何かが得意、そうした並びに吃音は入るでしょうか。ややもすれば、吃音を伴って話す人は「話すのが苦手な人」「話下手な人」という位置づけになってしまいそうです。

吃音のある人が吃音を伴って話すのは、話すことが下手なわけでも苦手なわけでもありません。得意・不得意というくくりで吃音を安易に位置付けてしまわないことが重要です。他の発達障がいの様々な事象をつかまえて「個性」だと表現することにも私には違和感があります。吃音のある人が、「この話し方は私の個性なんです」と自ら告げることはそれで良いと思います。ですが、周りの人が「吃音は個性だから」と決めつけた言い方をしてしまうのはどうかと思います。

吃音を伴って話す人に対して他者からどのような承認がなされるでしょうか。そうした他者承認はやがて自己承認へと組み込まれていきます。「○○さんはこういう話し方をする人です」「吃音を伴った話し方を笑ったり、真似したりすると悲しい気持ちになるからしてはいけません」「最後まで話を聞いてあげるようにしましょう」「話し始めるまでちょっと待ってあげましょう」といった他者理解は、それそのものが吃音のとらえ方であり吃音の理解を反映しています。吃音のある○○さんに対する他者承認となります。(自分は吃音を伴って話す人なんだ)(吃音を笑ったり、真似されたりすると悲しい気持ちになるんだ)(最後まで話を聞いてもらいたいんだ)(話し始めるまでちょっと待って欲しいんだ)と人から思われている(自分っていったい何なんだ!)という声が聞こえてきそうです。

「吃音者」ということばがあります。(私は吃音者なんだ!)そう叫んでみたところで(そうだ、そうなんだ!)と納得できるものなのでしょうか。(じゃ、吃音者だから何?)と問われ返されそうです。言葉遊びをしているつもりはありません。他者に何をどのように理解してもらうのか、それは吃音に限ってのことではありません。私という人間、この存在そのものを知ってもらうこと、理解してもらうこと、そうした他者承認であって、やがてそれらを通して自己承認が満たされていきます。

(どもって話すと人から馬鹿にされる)(どもっていると人から低く見られてしまう)(どもっているとおどおどした弱い人間に見られてしまう)といった思考によって(だからどもらず話さないといけない)という結果が導き出されます。こうした思考に至るきっかけになった出来事が先にあります。どもって話してしまったときに笑われた、ひそひそ話をしている様子からきっと自分のことをうわさしているに違いない。きっかけとなるこうした出来事の解釈は果たして正しいものなのかどうか。そして、(どもっていると○○○○)といった思考は合理的な思考なのか。それらを一つ一つ丁寧に点検していき、見方を変えてみる提案と、その結果、これまでとは違う行動をとってみるように後押ししていく。これらは「認知行動療法」とよばれる手法です。課題に対してゴールを設定し、さらに小さなゴールを目標に置いて小さなステップを積み上げていく手法は、吃音に限らず課題解決法のひとつとして効果的です。

(どもって話すと人から馬鹿にされる)(どもっていると人から低く見られてしまう)(どもっているとおどおどした弱い人間に見られてしまう)の背景にあるのは、他者と自分との間にある認識のずれや、吃音の解説がないまま放置された結果によって引き起こされた現象であるとも言えます。ですから、こうした事態はこれまでも、これから先も同じように繰り返されるでしょう。吃音のある本人も、周りにいる人も吃音を正しく理解していないという共通項を変える必要があります。では、吃音の何を理解する必要があるのでしょう。それが、他者と自身との間で共通理解に至れば、ずれは生じにくくなるでしょう。

吃音のある子どもに、発吃からすぐに知っていてもらいたいことは何か。その究極にあるのが「吃音の進展」です。努力によって吃音を自ら重くさせてしまわないように、そのためにどうすればよいのかを知ってもらっておくことです。吃音のある人はもちろん、周りの人にも同様に知っておいてもらいたいことです。「吃音を伴った話し方を笑ったり、真似したりすると悲しい気持ちになってしまうからしてはいけません」「最後まで話を聞いてあげるようにしましょう」「話し始めるまでちょっと待ってあげましょう」よりも「吃音の進展」を真っ先に最重要事項として押さえること。難しいことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

「吃音を伴って話すのが自分の話し方、そんな自分は○○が好きで、○○にあこがれていて、将来○○をやってみたいと思っています」「吃音を出さないように話そうとしていくと声が出しづらい話し方に変わってしまうので、それはしません」といった自己理解と、そのことを周りの人がきちんと理解してくれている他者理解とが連動しながら、他者承認と自己承認が形づくられていくのです。

重要なことを押さえます。吃音のある人が吃音を伴って話していくことで重い吃音に進展することを予防することができます。進展を知らずにいた人が、自然に出てくる連発を隠さずにそのまま言うようにしてみたところ、多く出ていた難発が減少してきた、難発が無くなった、という人がいます。ですから、できるだけ早くに、発吃からすぐに進展について伝え実践していってもらえるように環境を作っていくことが最優先事項です。

では、これから先、吃音とともに暮らしていくと想定して、連発はその後どうなっていくのでしょう。連発がどんどん増えていくことはありません。むしろ減っていく人が多いのです。自分なりの話し方のスタイルが確立されていきます。タイミングや間の取り方が次第に磨かれていきます。連発が無くなってしまうわけではありませんが、吃音の波に伴いながら多くなったり少なくなったりをくりかえしながら全体として徐々に連発は軽減してゆく傾向にあります。そして、連発をどうしても出したくないという場面があるでしょう、ここ一番という場面は誰にでもあります。そうした場合には、意識をして最初のことばを言おうとするコントロールされた言い方ができます。ただし、日頃から連発を伴って話しているという実績があることが条件になります。ですから、連発がどんどん増えていくだとか、今と変わらないということはありません。

そのうち、「この程度なら気にならない」「話せているから」という気持ちが高まってきます。吃音が無くなるかどうかは別の話になりますが、少なくとも苦しい難発に進展することなく、自分流の話し方を磨いていくことができます。難発から始まった人も同様に自分なりの話し方を確立していくことができます。苦しい不自然な難発へと進展していくことを防ぐことが可能なのです。

なかには、連発を伴いながら話しているにもかかわらず、どうしては分かりませんがいっとき難発になってしまったという声を耳にします。誰と話すか、どこで話すか、話の中身、時期によって吃音の出方は変化します。そこには気持ちも動くことでしょう。頭で分かってはいても気持ちが揺れることで以前のような難発が突如現れてくるといった事態が起こります。そうした不思議さを知りつつ、受け入れていこうとすることが自身の吃音との付き合い方に1頁を加えることになります。吃音のある子どもの自己理解を早期から育てていこうとする取り組みがいかに重要であるか、どうか知っておいていただきたいと思います。

〇吃音のある子どもの自己理解を育てる
吃音のある子どもの自己理解をどのように育てていけばよいのでしょうか。発吃後、吃音のある子どもが自身の吃音に気づく「自覚」は、世間で考えられているよりもずっと早い場合があります。吃音の教科書には4・5歳と書かれていますが、私が出会ったお子さんでは1歳9か月で難発に進展し、飛び上がって言おうとしていました。ですから、3歳になればたいていは何らかの自覚があるはずだと私は考えています。2・3歳の子どもに吃音の話題を出しても分からないのではないかと考えている専門家は少なくありませんし、実際に話題にすることは多くありません。ですが、子どもに尋ねてみるときちんと答えてくれるものです。では自覚とはどういった自覚なのでしょう。吃音を伴った話し方を「今日はなってないよ」「間違った言い方」「ちゃんと言えてない」「変な言い方」と表現は様々です。ですが一貫して、吃音を伴った話し方を「直さないといけない言い方」として自覚しています。やがては吃音を出さないように話そうとしていくでしょう。そうして吃音は不自然なものへと進展していきます。

「○○さんの『あ・あ・あ・あ・ありがとう』っていう言い方。これってね、『あ・あ・あ・あ』って出してていいんだよ。『あ・あ・あ・あ』って出さないように言おうとするとね、だんだん最初の『あ』が出てこなくなってくるんだ。そうしてね、『…あ・ありがとう』みたいに苦しい言い方になっちゃうんだよ。だんだん声が出なくなって、お話ができなくなってしまうの嫌だよね。だからね、『あ・あ・あ・あ・ありがとう』ってそのまま出しておいてほしいんです」

「『あ・あ・あ・あ・ありがとう』ってそのまま言ってくれていてもね、『あ・あ・あ・あ』がどんどん増えていっちゃうことはありません。だから安心して『あ・あ・あ・あ』ってそのまま出しながらお話してください、いいかな?」

「○○さんは、『あ・あ・あ・あ・ありがとう』ってそのまま出しておかないといけないんだって理解はしてくれたんだけれども、これって周りの人も知っていてくれていないとだめなんだよね。知らないでいると『どうして、あ・あ・あ・あってなるの?』って訊かれたり『変な話し方だなあ』って思われたりするからね。こんな風にみんなに伝えてみるのはどうだろうか。

「○○さんの話し方のことを『吃音』って言います。○○さんにとってはこれが普通の話し方で、間違った言い方をしているわけでも、あわてて話そうとするからでも、緊張しているからでもありません。口や舌も皆さんと同じです。どうして吃音を伴って話すようになったのか、その理由はね、はっきりとはわかっていないんだけれども、吃音を伴って話す人は世界中にいて100人に1人ぐらいいるんです。そしてね、大事なことを伝えるね。『あ・あ・あ・あ・ありがとう』っていう言い方。この『あ・あ・あ・あ』を出さないように言おうと頑張って言おうとするとね、だんだん最初の『あ』が出てこなくなってしまうんです。そのうちね、『…あ・ありがとう』みたいに苦しい言い方に変わってしまうんだ。声がどんどん出なくなってしまって、お話ができなくなるんです。それは苦しいことなので、『あ・あ・あ・あ』ってそのまま出すようにしてくれています。ですから皆さんも〇〇さんは『あ・あ・あ・あ』って出ている方がいいんだって分かっておいて欲しいんです」

「これを○○さんがみんなにひとりでお話しするのはちょっと難しいよね。これは担任の○○先生からお話ししてもらいましょう。お話ししてもらうとね、安心して『あ・あ・あ・あ』をそのまま出して話せるから。そうしておくと苦しい難発の話し方にならなくて済むからね。どうかな。さっきの伝え方、『ここをもうちょっとこういう言い方をした方が伝わりやすい』『こういう言い方で伝えたい』と思うところあるかな。一緒に考えていこうね」

このように、吃音のある本人とやり取りをしていきながら、まずは吃音の理解と自己理解を育てていきます。担任の先生も交えながら他者理解を進めていく手立てを一緒に考えていきます。考える過程そのものも自己理解を育てていくことになります。

こうしたお話を発吃してすぐの子どもに伝えていきます。子どもの年齢に応じた分かりやすい表現を用いながら丁寧に伝えていき、どう理解してくれたかを問いながら確認していきます。保護者やご家族にも同様にお伝えし、どのようにご理解されたか、お気持ち等を確認するようにします。自覚が乏しい段階の子どもにも伝えるようにします。やがて自覚していくことになりますから、先に正しい吃音の理解を伝えておきます。自覚できているかどうかを基準にすると自覚の中身が不明確になりますし、それらをことばでどう表現してくれるのかに依存してしまうことになります。ですから、発吃後すぐに伝えるようにします。伝えた内容にピンと来ていない様子であっても、しばらくして再度、確認の意味で伝えていきますから、1回伝えたらそれでおしまいというわけではありません。

いかがでしょうか。「人前でどもりたくない」「治したい」と考えてしまうきっかけとなるエピソードを引き起こさせないために、吃音のある本人と周りにいる人、保護者・家族・先生・友達等と協働しながら理解・啓発に向けて最大限の努力を講じていきます。

吃音のある子どもの自己理解は、何らかのエピソードがある度に、また、進級や進学といったステージが変わる度に問いと確認をくり返しながら育っていくものです。その柱にあるのが「進展の予防」であり「進展してしまった吃音を以前の吃音を伴った話し方へと引き戻せること」「進展の予防に周りの人の協力が必要」です。

◆堅田利明(かただとしあき)
関西外国語大学短期大学部 准教授/言語聴覚士/教育学博士
京都教育大学・言語聴覚士専門学校の非常勤講師を兼任。
大阪市立小児保健センター言語科を経て大阪市立総合医療センター小児言語科で25年間、哺乳・摂食機能、言語・聴覚・コミュニケーションで来院される本人やご家族、きょうだいへの支援に携わる。その他、神戸の肢体不自由児支援学校2校での摂食指導スーパーバイザーや大阪市教育委員会特別支援教育専門家チームアドバイザーを務める。
主な著書:『こどもの吃音症状を悪化させないためにできること-具体的な支援の実践例と解説』海風社,2022、『特別支援を難しく考えないためにー特別支援が子ども達の心に浸透するように』 海風社, 2011、『キラキラ どもる子どものものがたり』 海風社, 2007、『子どもがどもっていると感じたら-吃音の正しい理解と家族支援のために』(共著)大月書店, 2004.

 
■□ あとがき ■□--------------------------
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