アナフィラキシー発症から卒園まで、ギフテッド2Eの人が自分に合う仕事を見つけるには

MAILMAGAZINE
メルマガ情報

2023.09.15

アナフィラキシー発症から卒園まで、ギフテッド2Eの人が自分に合う仕事を見つけるには

----TOPIC----------------------------------------------------------------------------------------
■   連載:アナフィラキシー発症から卒園まで
■□  連載:ギフテッド2Eの人が自分に合う仕事を見つけるには
--------------------------------------------------------------------------------------------------


───────────────────────────────────…‥・  
■ 連載:食物アレルギーとわたし
             第2回 アナフィラキシー発症から卒園まで
───────────────────────────────────…‥
1.初めての急変
2007年春、私の娘は、現在十歳。小学校五年生になれました。
娘は、ピーナッツ(落花生)が食べられません。それどころか、さわることもできず、周囲が食べているなかにいても、生命の危険が伴うのです。

2000年、娘三歳のある春の日、「お母さん、お母さん……」という叫ぶような声とともに、突然玄関の戸が開き、倒れ込むように入ってきたすぐ上のお兄ちゃん。その背には苦しそうな息づかいの娘がおぶられていました。

いままで見たことのないその様子から、ただごとではないのは見てとれました。「何か食べた?」という私の問いに、「何も食べてない」と答えるお兄ちゃん。苦しそうな息遣いで頷く仕草を見せる娘。「えらかったね。ありがとう」とお兄ちゃんに礼を言い、娘を抱き上げました。その間にも娘は息がおかしいだけではなく、異常にかゆがり掻き続けました。あっという間にじんましんが広がり、少し前までの娘とは別人のようなありさま……。

生後半年から重症のアトピーだった娘、掻いて傷だらけの姿は嫌というほど見てきました。すぐ上のお兄ちゃんが喘息がひどかったため、喘息発作も何度も目にしていました。ところが、その時の娘の様子は今まで目にしたことのない状態でした。不安だけが重く伸し掛かるなか、嘔吐が始まったのです。

そのまま主人と市民病院の救急外来へ走りました。異変に気づいたお兄ちゃんの対応、短時間での判断、近距離の病院への短時間での移動など、早めの対応により適切な処置ができ、大事に到らずに済みました。半年前に初めて知ったことですが、三十分以内に適切な処置が行なわれれば、死に到ることはないようです。ただ、何の知識もない頃突然起こったことだけに、もし遅れていたらと思うと……。怖いです。

これが娘の起こした初めてのアナフィラキシーでした。ピーナッツが原因で起きたアナフィラキシーだったとわかるのは、それから一年も経ってのことです。

この時は、「何も食べていない」という子供達の言葉を信じ、疑わなかったため、何が原因なのか、何が起こったのかわからないまま、治療を終えることとなったのです。得体の知れない不安を抱えたまま……。
そしてそれは重症のアトピーとの戦いにようやく光が見え始めた矢先の出来事でした。再び暗い闇の中に突き落とされた私達。新たな闘いの日々が始まったのです。

2.ピーナッツでアナフィラキシー
忘れもしません。2001年娘四歳の春。
いつものように近所のおばあちゃん宅へ出掛けていた娘とすぐ上のお兄ちゃん。
「お母さん、お菓子ちょうだい」と戻ってきた娘と食べられるお菓子を持っておばあちゃん宅へ一緒に行きました。いつものようにそこでお菓子を食べるのを確認し、犬の散歩に出掛けるのを見送り家に戻りました。

いつもならその後すぐ戻ってくる子ども達が、この時なかなか戻ってきませんでした。夕飯の仕度をしながら待っていると、突然娘がつらそうな顔をして帰ってきたのです。「お腹が痛い。気持ちが悪い」という娘に、「トイレに行っておいで」と促す私。いつもと違うその様子が気になって様子を見に行くと、娘は布団に横たわっていました。

顔は真っ赤。熱はなく、今まで見たこともないような荒い息遣い。そして、布団には大量の嘔吐物……。その中にピーナッツがはっきり見て取れました。すぐ一緒にいたお兄ちゃんを呼び寄せ、こういう物を食べなかったかと問い詰めました。そして柿の種とピーナッツを食べていたことが判明、一年前にもビスケットのような物を食べさせていたこともわかりました。
実は、この間の一年で私はピーナッツの可能性もあると疑っていたのです。この時それが確信へと変わりました。

すぐに市民病院へ電話しました。電話に出たのは事務の方、「順番ですから」との返答に小児科へ電話を回してもらいました。再び状況を話すと、「すぐに連れてきてください。受付にはこちらから伝えておきます。気をつけて」と言って下さいました。

一番上の子を娘の横に乗せ、「お兄ちゃん頼むよ」と嘔吐した時用の袋を持たせ、私がハンドルを握り病院へ走りました。途中何度も「大丈夫?」「大丈夫?」と声かけしながら私も上の子も必死でした。死にそうな娘を救いたい……ただただそれだけでした。上の子も怖かったと思います。その恐怖のなか、しっかり役目を果たしてくれました。

病院に着くとすぐ中へ運ばれ点滴につながれ、検査も始まりました。多くの先生がベッドを囲み、「これは珍しい症状です」などと話されていたのをぼんやり覚えています。とにかく、私は助かりますようにと願うばかりでした。上の子がどうしていたのか、主人がいつ到着したのか、どのくらい病院にいたのかなど全く覚えていません。

おそらく何時間も経ってのことでしょうが、病院のベッドで吸入と点滴をしながらも、いつものようなお茶目な表情を見せるようになった娘にホッとしたことだけは覚えています。

食べてから五分も経たないうちに起こった激しい症状……これをもう二度と起こさせないために、私は二回とも一緒にいて一緒に食べていたすぐ上の子に、家での一部始終を見させました。例え優しさからとはいえ、例え知らなかったとはいえ、自分のしたことで妹がどうなってしまうのか、生命に関わることだけにわかってもらわなければならなかったのです。わずか七歳の子にはきつかったかもしれませんが、この事件以降、彼は今でも妹を守り続けています。もちろん上の二人の子も同じです。そしてもう一人、この時一歳八ヵ月だった下の子もちゃんと協力してくれています。

家族全員が、娘を守るためにはどうあるべきかを身を以って知った、そして、もう二度と起こしてはいけない事故だったのです。
この直後の外来受診で、「ピーナッツのアナフィラキシーです。数値が高いので、絶対にさわらせないで下さい。周りが食べていても危険です」と告げられたのでした。

3.保育園入園
原因がはっきりして守りやすくはなったのですが、新たな問題も出てきました。
家の中だけであれば、家族の協力さえあればピーナッツから守ることは、ある程度できます。
この時娘は四歳。保育園・幼稚園で言えば年中児と言われる学年になっていました。三歳の時のアナフィラキシーの半年後、私は入園を断念し家で見守ることを決意していました。しかし、二年後には小学生。避けて通ることはできません。いきなり小学校という集団の中に入れるのには不安も負担も大きく、またその症状の重さから、園に受け入れてもらえるかもわかりませんでした。どうしたらいいものか、思い悩む日々が続きました。

園の情報を集めました。アレルギー児の給食対応(個々のアレルゲンを除いて給食を用意してくれる)を既にしている園もありました。
迷いに迷ったあげく私が選んだのは上の子三人が通っていた保育園でした。まず相談に行くことにしました。アレルギー児給食対応の前例がないのは覚悟の上、ただ短時間で激しい症状を起こす娘なので、家と病院に近い園が一番いいだろうとの判断でした。先生方もよく知っていて相談しやすいのも決め手となりました。
それでも、受け入れてもらえるかはわかりませんでした。不安を抱え訪れた私達を、園側は壁を作ることなく温かく迎え入れて下さったのです。

そして半年後の春、娘にとって最初で最後の入園式を迎えることができたのです。
式の後、そのまま、先生方と私達親子の顔合わせの場が設けられました。今までの経緯や注意点等を話す私をじっと見守る多くの先生方が、そこにみえたのです。
そして、「子供の命を守ることが大切」と「ピーナッツは喉に詰まる危険もあるから、園にピーナッツを置かないようにしましょう」とまで言って下さったのです。

4.貴重な保育園生活
2002年、娘五歳、保育園年長。
この当時の娘は、ピーナッツはもちろん、卵、牛乳、大豆、そばも食べられませんでした。
園の給食室にアレルギー対応の調味料を置かせていただいて、可能な範囲で専用鍋を使い作って下さいました。無理な物は私が作り届けました。私達親子は、登園するとまず給食室に行き、その日のメニューの確認をしてから教室に行くのが日課でした。足りない物があっても、自宅に近いのですぐまた届けることができました。食事の内容も詳しくノートに記して下さったので、症状が出た時も的確な判断ができました。娘の症状にすぐに対応できるように、主人が携帯電話を用意してくれたので、何かの時はそこに連絡が入りました。といっても、ピーナッツは本当に除去して下さったので、アナフィラキシーを起こすことは一度もありませんでした。

先生方の対応も日を追うごとに変わっていきました。もちろん良い方にです。特に給食室の対応変化は目覚しいものがありました。

初めの頃は、私もいろいろ作って持って行っていたのですが、卒園を迎える頃には、ほとんど持って行かなくてもよいぐらいにまで変わって下さっていたのです。これは簡単なことではありません。除去食を作ったことのある方ならおわかりでしょう。卵アレルギーの重い子は卵が少しでも入っている物が全て食べられないということなのです。一度挑戦してみるとその大変さがわかります。

実は私も多くの失敗をした経験があります。ここまでやってもと悲しくなったことがよくありました。そんな大変な対応を「子供達のために」と前向きに取り組んで下さった園の関係者の方々……頭が下がります。ありがたかったです。

娘にとっても、私にとっても、この一年は忘れられない貴重な一年でした。そして、それまでただただ肩肘張って守ることに必死だった私に、精神的なゆとりを持たせてくれた一年でもありました。

私は、入園決意から卒園までの一年半で、誠意を持って話せば分かってくれる人がいること、親だけで守ってやれる範囲には限界があることを改めて知りました。

5.就学時健康診断
娘六歳の秋、園生活も順調に八ヶ月が過ぎようとしていた頃、小学校の就学前健康診断が行なわれました。
私はこの日ある事を先生にお願いしたのです。それは、保護者に娘のことを話す時間をつくって欲しいというものでした。
上三人の子がいるのでその経験から、保護者が揃ってゆっくり話が聞けるのはこの時しかないと思ったからです。先生は快く承諾して下さり、「アレルギーのことを話す項目がありますので、その時話していただけますか」と言って下さいました。

子供達が健康診断に行っている間に保護者への説明が始まりました。私はどう話すか頭の中で整理しようと思いながら説明を聞いていたので、どちらも頭に入らず、また焦れば焦る程ドキドキが収まらなかったのをよく覚えています。「前で話してもらえますか」と指名された時には、自分で頼んだことなのに心臓が止まるかと思うくらいドキッとしたものです。

何を話したのか、ちゃんと話せたのかよくわかりませんが、ピーナッツのアナフィラキシーでどんな状態になったのかは話しました。悪用されないだろうかという心配は頭の片隅にない訳ではありません。もちろん今でも、そしてこれからも。それでも自分達の経験から、知ってもらうことで助けられることの方がより大きいこと、知ることにより温かく見守ろうとして下さる方ができることを学んできたのです。

子供の成長と共に行動範囲は当然のごとく広がっていきます。それに合わせて親の守れる範囲にも限界が生じてきます。それをどう付き合っていくかは頭の痛い問題です。思い悩み、もがき苦しみ、経験を重ねてきた今現在でも留まる所を知らないというのが現実なのです。
それでもその場には真剣な眼差しがあったのです。そのことだけでも無駄ではなかったと思います。

6.給食にピーナッツが……
2003年、入学を一ヶ月後に控えた三月十日、小学校へ給食の打ち合わせに出掛けた私は、大きな壁にぶつかりました。
「給食にピーナッツは出ます。我が市ではセンター方式なので、個々の対応は出来ません。食べられない物はお弁当を持たせて下さい。」との栄養士の方のお話だったのです。
私がショックだったのは、「給食にピーナッツが出る」ということでした。前にもお話したように、娘はその数値の高さから、ピーナッツを食べないように、さわらせないように言われていました。

保育園では、園内の給食室で給食が作られていました。おやつに関しても園側の管理のもと出されていました。ですから、園がピーナッツを使わないように配慮して下さったことにより保育園は安全な場となったのです。

ところが、小学校・中学校は違います。市内四カ所ある学校給食センターで作られた給食が、各学校の配膳室に運ばれ、そこから更に各教室に運ばれ子供達の手で個々に配膳されるのです。人口三十万人規模の我が市ですから、一つのセンターが作る一日の給食の量は想像できない程多いのはわかっていただけますでしょうか。見学に行った娘の話では、お風呂みたいな大きな鍋がいっぱいあって、大きなしゃもじみたいな物で全身を使って作ってみえたそうです。個々の対応が難しいのは私にもわかりました。
わかったからといって、生命を守るにはそのままにしておく訳にはいきません。出口が見えないまま時間だけが過ぎていきました。

そして、半月後の三月二十七日、恵まれた保育園生活も最後の日を迎えました。忘れられない、そして涙の止まらぬ卒園式でした。言葉に言い尽くせない感謝と次への不安を抱えたまま、旅立つことになったのです。

◆栗田洋子(くりたようこ)
食アレスマイルネット(愛知県岡崎市子育て支援団体・岡崎市市民活動団体)代表 絵本専門士
絵本を持っての食物アレルギー啓発活動に加え、絵本や絵本の読み聞かせの大切さを伝える活動にも力を注ぎ続けている。
絵本『ともくんのほいくえん』明元舎、『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』ポプラ社
2017年度 筑波大学同窓会茗渓会 茗渓会賞を受賞
第75回 厚生労働省 保健文化賞を受賞(2023年)



───────────────────────────────────…‥・  
■ 連載:ギフテッドとは?
            第4回 ギフテッド2Eの人が自分に合う仕事を見つけるには
───────────────────────────────────…‥
ここまで書いてきたように、ギフテッド2Eの人は、たぐいまれな才能をもってはいますが、一般社会で生きるには難しいところもあります。その原因を説明している記事を紹介します。

1.本人の特性や指向と周囲の間のあつれき

Gifted adults and relationships: Ten sources of conflict
(大人のギフテッドと人間関係:衝突の10の原因)

Gail Post博士が書いている記事です。博士はギフテッド専門の心理学者として豊富な経験を持っています。
ギフテッドの成人は、多くの場合、社会的困難の多い子供時代を耐えてきたといいます。才能に恵まれた感情的特性や知的な強みは成人期に失われず、固定観念にとらわれずに考え、より速いペースで情報を把握し、知的刺激を求めています。彼らはまた、幼少期と青年期に発達したこだわりや自分を守るための手段を保持している可能性があります。これらが、大人の人間関係において問題を引き起こす可能性があるといいます。彼らとその家族やパートナーがぶつかる課題について、この記事を参照してまとめてみました。

〇成功へのプレッシャー
成功するための強い意欲を持つことで、目の前の課題や仕事に対して極度に集中することがあります。彼らには高い達成基準があり、完全主義的です。しかし、そのような高い基準にまで到達できないとき、自己への批判が強くなり、殻に閉じこもってしまいます。成功へのプレッシャーのもとで生きていると、家族や友達を放置してしまいます。

〇いつも自分が正しくなければいけない
ギフテッド2Eの人の異能は他者より秀でているので、自分はいつも正しい答えを知っていると考えています。自分はどのような議論でも正しくなければならないと考え、卓越した言葉のスキルを使って自己弁護し、自分が勝つまで友人やパートナーと議論を続けることがあります。

〇孤立感
ちょうど子供の頃と同じように自分が孤立していると感じる人がいます。彼らは自分のことをほとんど友達のいない変わり者とみなし、憂鬱になり、周囲に誤解されていると感じることがよくあります。一人で過ごす時間が多く、パートナーや周囲の友人や家族に、どうせ理解してくれないと思って気持ちを伝えようとしないことがあります。

〇気まずさや不安を感じる
子供の頃の自己概念を保持し続けているので、社会環境の中で不安や不快を感じることにより孤立してしまいます。そういった不安を隠そうとしたり、仕事が忙しいと言ってごまかしたりします。不安から友達関係や他の人間関係を築き上げることがむずかしくなります。

〇一人の時間が必要
多くのギフテッドの人は内向的で、一人で過ごすことで生気を養うことができます。考えにふける時間を持つと、元気になり、創造性と閃きがより一層強くなります。しかし引きこもることで周囲の人や家族、パートナーは寂しい思いをすることもあります。

〇多くの変わった興味を抱くことに没頭する
多くのギフテッドの人は物事を非常に深く掘り下げ、細かいところまで物事を把握しようとします。そのため、多くの一風変わった興味に没頭することがあります。興味ある分野への情熱と激しさは周囲が驚くほどです。その間、パートナーや家族は打ち捨てられたように感じることもあります。

ギフテッドの人の中にはかなり長時間一人で自分の好きなことに没頭する人がいると言われています。そうなることで、夫婦関係、恋人関係、友人関係がギクシャクしてしまうかもしれません。

次は、仕事場における適応に関する記事の引用です。
職場の適応問題に関して、職場の周囲の人々とギフテッド本人の見解の違いが9パターン示されています。

2.ギフテッドと仕事における問題
ギフテッドであるということが、仕事の分野でどのように発現するか、またギフテッドの人がどんな仕事を経験するかということは、ほとんど研究がなされてこなかったですが、この論文の作者の一人は、企業のアドバイザーとして長期間働いてきたそうです。そこでは多くのギフテッドの従業員が働いていたといいます。

彼はギフテッドと芸術家の驚くべき類似点を発見。両者はある普通ではない状態が満たされなければ彼ら自身の才能を成長させることが難しかったといいます。閃き・思いつきとやる気が知識や能力より重要な要素であると思われたそうです。
彼らは、ギフテッドと思われる従業員自身からの視点と、その周囲の人々からの視点の両方から見た特徴を表しています。

〇周囲と本人の認識の違い 1
 
・周囲が指摘していること
管理者や権威ある人と多くの衝突を引き起こしている。
・ギフテッド従業員がのべていること
私は何が妥当なのか非常によく分かるのだ。

〇周囲と本人の認識の違い 2

・周囲が指摘していること
他者の言うことを聞くことができない。
・ギフテッド従業員がのべていること
私の考えは理解されていないが、私はいつも正しい。

〇周囲と本人の認識の違い 3

・周囲が指摘していること
やる気を起こさせるのが難しい。
・ギフテッド従業員がのべていること
おそらく、私は周囲の人からやっかいものとみられている。

〇周囲と本人の認識の違い 4

・周囲が指摘していること
時間にルーズである。
・ギフテッド従業員がのべていること
私はいつも引きとめられている。全てがゆっくり進行している。

〇周囲と本人の認識の違い 5

・周囲が指摘していること
はっきりした理由なく、成果の変動が激しい。
・ギフテッド従業員がのべていること
私は、自分が何をしたいのかわからない。私はすべてのことが興味深いことと思うのだ。

〇周囲と本人の認識の違い 6

・周囲が指摘していること
この従業員の最適な仕事場がはっきりしない。全てのことに関わろうとしている。
・ギフテッド従業員がのべていること
私は評価されなさすぎだ。人々は私の能力を理解していない。

〇周囲と本人の認識の違い 7

・周囲が指摘していること
我慢強さと忍耐が足りない。
・ギフテッド従業員がのべていること
私は気が散りやすい。

〇周囲と本人の認識の違い 8

・周囲が指摘していること
社交的ではなく近づきがたい。
・ギフテッド従業員がのべていること
私は世間話が好きではない。

〇周囲と本人の認識の違い 9

・周囲が指摘していること
職場環境に関するあらゆる要求をする。
・ギフテッド従業員がのべていること
私は他の人々があのようなやかましい場所で働けていることが理解できない。

※参照記事:オランダのTijdschrift voor Bedrijfs- en Verzekeringsgeneeskundeという雑誌に2002年に掲載された記事を、SENGが再掲載。雑誌名の英訳はJournal for Occupational and Insurance Physicians(産業医と保険医のための雑誌)

3.ギフテッドの人が働きやすい職場
最後に、ギフテッドの当事者何人かから聞いた、ギフテッドの人が働きやすい職場などについてまとめました。

個人情報保護の観点から、その人を特定できないようにしてありますので、ご了承ください。

ギフテッドのつらさは、孤軍奮闘しがちなことになると言います。アンテナを立てて情報収集するしかなくて、同類や仲間に出会える可能性も低いと言います。普通の人に共感することがむずかしく、孤立感は高まります。できれば、自分について様々なところで発信し、仲間や仕事の情報を得ると良いでしょう。

ギフテッドの人が働きやすい会社とはどんな会社でしょうか?

〇挑戦できる環境にあり、安心感があると挑戦する意欲が増す。挑戦して成功体験を積むと、自己肯定感は高まる。

〇放置して任せてくれる会社は居心地がいい。基本は見守ってくれて、何かあった時に手助けをしてくれるといい。

〇共感を重視し、人といっしょにチームとしての行動を重視するところは難しい。成果を求めるのは良いが、やり方を管理されるとつぶれてしまう。ほったらかしてくれたら、成果は上げられる。

〇自分の仕事を任せてもらえる、チームで仕事をするのではなく、自分一人でやり方も任せてもらえると成果を発揮できる。

〇雇用流動性の高い、雇われやすいがやめさせられやすく、転職しやすい雇用システムが働くことがある。

〇企業内で働くだけではなく、企業やフリーランスとして働くことも視野に入れるとよい。企業も、外部から支援をしたり、フリーランスとしての仕事を切り出したりすることで、ギフテッドの人への支援を実現することも検討するとよいと思う。

ライター。
編集制作会社にて、書籍や雑誌の制作に携わり、以降フリーランスの編集・ライターとして活動。障害全般、教育福祉分野にかかわる執筆や編集を行う。障害にかかわる本の書評や映画評なども書いている。
主な編著書に、『ADHD、アスペルガー症候群、LDかな?と思ったら…』、『ADHD・アスペ系ママ へんちゃんのポジティブライフ』、『専門キャリアカウンセラーが教える これからの発達障害者「雇用」』、『自閉症スペクトラムの子を育てる家族を理解する 母親・父親・きょうだいの声からわかること』『発達障害のおはなしシリーズ』、『10代からのSDGs-いま、わたしたちにできること』などがある。


 
■□ あとがき ■□--------------------------
次回メルマガは、9月29日(金)です。

▼YouTube動画 レデックス チャンネル ▼

メルマガ登録はこちら

本文からさがす

テーマからさがす

全ての記事を表示する

執筆者及び専門家

©LEDEX Corporation All Rights Reserved.