吃音のある子どもへの支援

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2023.08.18

吃音のある子どもへの支援

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■   まえがき
■□  新連載:吃音のある子どもへの支援
■□■ 連載:ギフテッド2Eの人への本当の支援とは
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■□ まえがき ■□--------------------------
今回から30年にわたり第一線で吃音(きつおん)臨床に携わってきた堅田利明(かただとしあき)関西外国語大学短期大学部 准教授に連載をしていただきます。

当社の主任研究員である言語聴覚士(ST)は、吃音臨床に自信をもって取り組めている言語聴覚士が少ない中、堅田先生の著書からSTの学校では教えてくれなかったような吃音支援を学ぶことができたといっています。吃音臨床には様々な考え方やアプローチがありますが、堅田先生のアプローチは言語聴覚士の世界でももっと広まってほしいとSTの端くれとして感じているそうです。

読者の方にもぜひ堅田先生の知識とノウハウ、支援に関する哲学を知っていただきたいと思います。

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■ 新連載:吃音のある子どもの自己理解を育てていくための協働
             第1回 吃音のある子どもへの支援
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〇吃音ということば
「吃音(きつおん)」ということばはあまり聞き慣れないかもしれませんが「どもる」と言えばなじみのある人が多いかもしれません。どもった話し方とは、吃音を伴った話し方のことを言います。吃音は、吃音を伴った話し方をさす場合と、吃音を伴って話す人の態度・感情・考え方を含んだ総称として用いられる場合とがあります。

吃音を伴って話す人は身近におられますか。これまで何人出会われましたか。ご自身がかつてそうだったという人、吃音を伴いながらいまも話しているという人、「わが子が吃音です」「クラスの○○さんに吃音があります」のように身近にいらっしゃいますか。もしくは、吃音を意識することなく、したがって気付かないまま過ごしてきた人、そんな人も少なくありません。100人に1人程度の人が吃音を伴って話しています。

〇言語発達期に生じる稚拙な話し方と混同されがちな吃音
吃音を伴った話し方が始まることを「発吃(はっきつ)」と言います。2~5歳が好発時期※1です。小学校入学前に発吃することが多いために「発達性吃音」と言われます。この時期は100人に5人程度の子どもが吃音を伴って話しています。

※1 好発時期 ある症状が発症する頻度が高い時期

吃音は最初、「マ・マ・マ・マ・マ・ママー、あ・あ・あ・あ・ありがとうー」のようにことばの最初をくり返す「連発(れんぱつ)」で始まります。連発を伴った話し方は、2~3歳の子どもにはよくみられる話し方だと思われがちです。ですが、周りの人が(あれっ?)と気づいている場合、連発の量が違っているはずです。(あれっ?)と気づいてはいますが、言語発達期には誰にでも生じる普通の話し方だという思いで「あわてなくていいよ」「ゆっくりお話してね」と声かけをしながら見守ろうとします。そのうち連発が消えてしまう子どもがいます。一方で、しばらくするとまた連発を伴って話し出します。このように、吃音のある子どもは常に連発を伴いながら話しているわけではないのです。誰と話すか、どこで話すか、話の中身、そして時期によって連発を伴わないで話すことがあります。これが吃音の不思議さのひとつで、「吃音には波がある」と言われるゆえんです。その時期ですが、一日の中での変化・週単位・月単位・年単位で変わっていきます。

〇吃音を伴って話すようになったのは何かのサイン?
ある日突然、または徐々に連発を伴いながら話すようになります。「しばらくしたら無くなるだろうと様子をみていると確かに無くなって安堵していたら、また連発が始まって愕然とした」といった保護者の声をよく耳にします。吃音の情報を集め始めるのもこの時期です。

SNS等で目に留まるのは「親の子育て」「生活」「しつけ」「話しかけ方」「習い事」「ストレス」といった親の態度や養育環境が発吃の原因であると言わんばかりの文言です。それ以外にも書かれてはいますが、不安を高める文言ほど気になってしまい記憶に残りがちです。さらに、「○○してみたら治った」といった記述に目が留まり、新人ママ・パパにとってなかなか自信が持てない子育てのどこかに問題があるのだろうと考えてしまうのです。これまでの養育態度や子どもへの言動を反省させられる出来事が思い浮かぶたびに落胆します。そうならない人もいますが、発吃と養育環境を結び付けて助言をされる祖父母のことばによって追い込まれてしまう保護者は少なくありません。祖父母からすると可愛い孫のためにという思いが先行しがちです。

ここで大事な点を押さえます。発吃は、子育てやしつけ、家庭環境等によって起こるものではありません。吃音は、話すときの脳機能に起因するものであると言われています。現在、脳研究や遺伝研究が盛んにおこなわれており、分かってきたことが積み重なってきています。ただ、この部分が吃音を生じさせる原因であると限定されるまでには至っていません。少なくとも、発達性吃音の発吃は、子どもの何らかの心のSOSであるとか、ストレスの蓄積によって生じた結果であるという考え方は誤りです。

〇吃音の自然消失
2~5歳に発吃する子どものおおよそ7・8割は、何もしなくても吃音を伴った話し方が自然に無くなります。この現象はちょうど小学校入学前後に起こります。それ以降もみられますが、圧倒的にこの時期に集中します。これも吃音の不思議さのひとつです。あらかじめ「この子の吃音は無くなる」「この子は吃音と共に将来も生きていくことになる」といった判断ができれば個々の対応も違ってきますが、こればかりは明確に予測できないのです。だからこそ、おおよそ2・3割の子どもの側、すなわち、吃音と共にこれから生きていくことになるかもしれないことを想定し、将来を見すえた関わりを、発吃後すぐに始める必要があります。その理由はどうしてでしょうか。

〇吃音は進展していく
さて、ここから重要なことをお伝えします。ことばの専門家と言われる言語聴覚士等であってもご存じない人が多い内容です。
多くの場合、発吃は、ことばの最初を何度かくり返して言う「連発」で始まります。2歳から5歳頃に現れる発吃の大半はこの連発です。連発は、ことばの最初を3回以上くり返す、「お・お・お・おかあさん」「こ・こ・こ・これ、たあ・たあ・たあ・たあべても、い・い・い・い?」といったものです。聞き覚えがある人は多いのではないでしょうか。

吃音を伴って話す人にとってこの連発は至って自然に出てくる話し方です。言いにくさやもどかしさは感じません。吃音のある人にとっては当たり前で普通の話し方です。ですから発吃以降も連発を伴いながらたくさん話してくれます。そのため、周りの人の耳に留まりやすいのです。大人たちには、「どうしてそんなにあわてて言うの」「ゆっくり言ったらいいのよ」と感じます。周りの友達はどうでしょう。「どうして何回もああああって言うの?」「変な言い方」と感じるかもしれません。連発の話し方のことを質問してくる人もいるでしょう。

人から尋ねられると最初は「えっ?」「何のこと?」となるでしょう。ですが、くり返し問われたりマネされたりすると自身の言い方に注意が向きます。連発が出ていることを意識し、連発を出さないように工夫しようと試みます。「せ・せ・せ・せーーーんせい」「あ・あーーーーそんでもい・いーーーい?」のように伸ばして言うようになるのです。これを「伸発(しんぱつ)」と言います。小さい子どもであっても頑張って工夫しています。このように、連発を伴いながらやがて伸発が現れてきます。本人の工夫によって伸発が生じてくるのです。

連発を出さないように気をつけながら伸発を使って話そうと工夫します。周りの友達は、「せーーーんせい、ちがうよ、せんせいだよ!」って教えてくれるようになります。「どうして伸ばして言うの?」と尋ねてくる人もいるでしょう。こうなるとどうでしょう。連発はダメ、伸発もダメだということになります。そこで本格的に話し方を意識し出します。
本格的に話し方を意識するとは、最初のことばに注意を向け、連発にならないように1回で言うために慎重にことばを発するようにすることです。そうすると連発を伴わずに言えるのです。もちろん伸発を使う必要はありません。そこで「やったぁー!」「こうして話したらいいんだ!」と大きな喜びを得ます。その喜びによって以後、どんな場面でもこの方法を多用していきます。

「吃音を伴わないで話すようになった、治ったと思った」という時期がかつて見られたと大勢の保護者が報告してくださいます。気をつけて話すことで吃音を伴わずに話せるのであれば、大人の吃音の人はほとんどいないということになります。それはどうしてでしょうか。

最初のことばに注意を向け、連発にならないように1回で言うために慎重に「・・先生」 「・・ありがとう」という言い方を、けなげにも3歳の子どもでもしてくれます。この方法を多用していますと次第に慣れが生じてきます。慣れてきますと、ふと連発が出そうになってあわてたり、実際に連発が少し出てしまってびっくりしたり、そうなると大変です。さらに気をつけて言わないといけないと考えます。もっと頑張らないと、と。呼吸を整え、身体に力を入れて、心の中では「せーの」とタイミングを取りながら、一気に言ってしまおうとします。力の入った言い方です。当面これで乗り切れます。ですがこの方法も慣れが出てきます。そうして力を入れて言うことが高じていきます。そのうち、すんなりことばが出てこなくなり焦ります。さらに身体に力を入れるしか方法はありません。そうして「・・・・おはよう」「・・・・ありがとう」といったことばの最初が出しにくい、出ても力がかなり入った言い方へと変化していきます。これを「難発(なんぱつ)」と言います。

難発は連発とは異なり、言いづらさを伴います。苦しい話し方です。「言えない!」「のどが痛い!」と保護者に訴えてくる子どももいます。連発は減ってきており、もはや見られませんので、保護者は吃音が無くなってきている、よくなってきていると勘違いをされます。「大丈夫だよ」「言えてるよ」と子どもの工夫を後押ししてしまいます。そうなると、工夫、すなわち力を入れて言おうとする方法にますます拍車がかかります。連発を出さないための話し方に価値づけがなされてしまいます。

すっと言えない難発の状態はさらに増えていき、それでも力を入れて言うしか方法はなく、ことばを出すために膝を叩いたり、足で床を踏み叩いたり、上体をそらしたり、目をギュッとつむったりといった動作を加えます。(何とか言えた!)という思いによって次回から同じように試みます。話す際に伴うこれらの動作のことを「随伴(ずいはん)症状」と言います。

また、どうしても言えないことばは別のことばに言い換えるという技も身につけていきます。「今日はここに誰と一緒に来たのかな?」の問いに「この人」と母親を指さして答えてくれた3歳のお子さんがいました。いかがでしょう。言い換えを使って言えるのならそれでいいのでは、と思われますか。言い換えをするためには常に気を張り詰めておかなければなりません。回りくどい言い方になってしまっているという自覚もあります。言い換えのことばそのものがやがては言えなくなってしまうこともあります。そうして、話すことに相当の負担を強いられ、話さないといけない場面から次第に遠ざかっていきます。

話す場面を避けるために園や学校を「明日休みたい」「行きたくない」と突然訴えてくるのです。さらに、(自分だけどうして言えないんだ)(こんな簡単なことがどうして言えないんだ)(言い換えばかりして本当のことを話せていない)(努力が足りないからだ)と罪悪感情や孤立感を抱くようになっていきます。(自分なんてダメだ)と自尊感情が低くなっていきます。「自分のこと大嫌い!生まれ変わりたい」と言った小学校3年の人がいました。この人はクラスで人気者、担任の先生からも高い評価を受けています。表向きのふる舞いと内面とに大きな隔たりが生じています。このように自身のことをマイナスのまなざしによって本来の力が発揮しにくい状態にあるのが「二次障がい」です。吃音を伴って話す自身のことをどうとらえるか、そのとらえ方の結果、引き起こされるものです。

人から吃音のことを一切尋ねられたことも指摘されたこともない。誰も何も言ってこなかった。けれども、吃音を伴った話し方が「おかしい」「変だ」と自身で思うようになり、工夫を始めて難発になってしまったという人がいます。周りからどう見られるか、指摘されたりからかわれたりといった他者への意識、他者理解もさることながら、自身のことをどのようにとらえているか、つまり自己理解が暮らしに大きく関与します。周りの人の理解とともに自己理解をどう育てていくのか、これは吃音のある人に限ったことではありませんが、支援において重要なカギになります。これは「吃音のある子どもの自己理解を育てる」の項で詳しく述べます。

このように、発吃後から次第に吃音が変化していくことを「吃音の進展」と言います。不自然で苦しい言い方になること、いわば吃音が重くなっていくことをさします。吃音は進展していくのだというのは大きな特徴の1つです。この観点で、関わっておられる吃音のある子どものいまの様子をご覧いただけたら、これまでとは違った様子を感じ取られるかもしれません。吃音の進展のことをぜひとも知っておいてもらいたいです。

〇発吃が難発の人
連発から発吃する人が多いなかで、突如、難発から始まる人もいます。ある日突然、難発になって声が出しづらくなるのです。もちろん、本人はすぐに気づきますので保護者に訴えます。「言えない」「声が出ない」「なんでこうなるの?」と。保護者はびっくりして専門機関を訪ねるでしょう。

難発で始まった人の場合、その後は3つの方向に変化していきます。1つ目は、難発そのものが無くなります。2つ目は、難発が連発に変わっていきます。3つ目は難発そのものが重くなり、さらに苦しい難発の状態になります。

よろしいでしょうか、いきなり難発で始まる人がいること。そして、周りの理解がないままにしておくと、さらに苦しい難発になってしまうということをどうか知っておいてください。

難発から始まった人の場合はどうすればよいのでしょう。確かに難発はスッとことばが出てきにくい話し方です。ただ、(話したい)(伝えたい)という気持ちが強いのがこの年代のお子さんです。時として言うのを止めてしまうことがあるかもしれませんが、難発を伴う話し方がその人の話し方なんだということを理解してしっかりと話を聴こうとしてくれる、そんな環境下にいれば頑張ってたくさん話してくれます。そのうちに自分なりのタイミングや間の取り方を自分なりに体得していきます。「まぁ、話せてるから」「ちょっと言いにくい時はあるけれどみんな聞いてくれてるから」といった姿へと変わっていってくれます。ですから一概に「難発はダメ」ということではなくて、あくまでも不自然な吃音へと進展させない、吃音を重くさせないことが何よりも重要です。

なお、多くはありませんが伸発で発吃したという人もいらっしゃることを記しておきます。
 
〇努力によって何を達成するのか
吃音を伴って話す人が、不自然な苦しい言い方を続けてしまい、それを隠すためにさらに不自然なふる舞いや、話す場を避けようとする行動、そうしている自身の罪悪感情や孤立感、自尊感情の失墜にさいなまれていく暮らしは、実は、大人になるにつれて高まっていきます。しかも、周りからはなかなか見えづらいのです。これを吃音の内面化・複雑化と言います。二次障がいです。苦しさや生きづらさがその人の奥深くに入り込んでいきます。

良かれと思って始めた吃音を出さないための様々な工夫、その後にあるのは、声が出しづらい苦しい話し方への進展です。このように、発吃から何もしないままで放置していれば、本人の努力によって吃音が進展してしまいやすいのです。ご存じだったでしょうか。

早い場合だと2歳過ぎに難発になってしまい、声が出ないために飛び上がって話す子どもさんがいました。顔を真っ赤にして絞り出すように言おうとしますが、それでも出せずにあきらめてしまって黙ります。その後、何もなかったようにふる舞おうとする姿は記憶に焼き付いています。

ものすごく苦しいんです。人には言えない苦しみです。連発を出さないようにして話してきた結果によるものです。小学校の中学年・高学年以降になりますと連発や伸発が見られないのはこのためです。逆にこの時期に連発を伴いながら話し続けている人は、実に楽に話せているはずです。それは、周りの理解があって、連発を伴って話すことが自分の話し方であり、これが自然な自分の姿なんだという自己理解がしっかりと根付いているからです。

大人になっていくにつれて「しっかり話す」「きちんと言う」必要性は高まっていきます。固有名詞を言う機会は増え、これまでのように代名詞で対応できなくなります。スポーツ等の試合の場で名前を告げることやあいさつ、かけ声が重要視されます。アルバイトでは接客用に決まったことばを言わなくてはなりません。言い換えを許してもらえなくなっていきます。人前で話す機会、リーダーになる、主任になる、プレゼンを任される、会議の司会進行、上司や友人の結婚式のあいさつといった場面が次々と起こってきます。学生時代とは違う社会的なプレッシャーが確実に高まってきます。

連発を伴わずに話すための工夫を努力によって達成できたかもしれません。ですが、その代わりに言いづらい難発となり、その状況が増していき、さらに何とかしようと努力します。努力の向こう側にあるのはいったい何でしょうか。どもらずに話せることが最重要課題となっていることでしょう。現在の吃音治療は、多面的アプローチと言われる吃音のある人に応じた個々の形の介入の方法です。異なる方法を2つ以上重ね合わせていくことで現状が若干もしくは大きく緩和するかもしれません。効果的なアプローチとして意義はあるでしょう。ですが、吃音を完全に無くすための方法がない中で、現在、存在し続ける吃音というものの本質を考えたとき、吃音のある人が吃音を伴って話すことは当たり前のことであり、それを理解し合える社会をつくり出していきたいと私は考えています。

「吃音を治したい」「人前でどもりたくない」という思いをお持ちの人は、これまでの人生の過程において、いまそのように考えておられるわけですから、課題に向かって突き進んでいかれることを後押しします。ただ、発吃間もない子どもにも同様の課題を持って関わろうとは思いません。吃音のある子どもが当たり前に吃音を伴った話し方で暮らしていける社会をつくり出していきたい、そのための努力を惜しまないと考えるからです。

「人前でどもりたくない」「吃音を治したい」と考えるようになるもっと前から関わり、どもらないで話そうとするその努力を、吃音のある人が当たり前に吃音を伴った話し方で暮らせる社会をつくり出そうとする努力へと大きくチェンジしてもらえるように、そして、実際にそうした暮らしができつつある場をさらに拡大していくための協働をしています。

人前でどもらないようにする工夫を続けながら、「なんとかやれている」「上手くいっている」と思っている現状が、ひょっとしてこれから先、早くて思春期に、成人になってから、しんどさがどっと押し寄せ耐えきれなくなってしまうかもしれません。今ではなく、もっと先にやってくるものです。だからこそ、いまそのことを教えてあげる必要があります。今なんとかやれている工夫や対応は今後効かなくなってしまうかもしれないということを。

◆堅田利明(かただとしあき)
関西外国語大学短期大学部 准教授/言語聴覚士/教育学博士
京都教育大学・言語聴覚士専門学校の非常勤講師を兼任。
大阪市立小児保健センター言語科を経て大阪市立総合医療センター小児言語科で25年間、哺乳・摂食機能、言語・聴覚・コミュニケーションで来院される本人やご家族、きょうだいへの支援に携わる。その他、神戸の肢体不自由児支援学校2校での摂食指導スーパーバイザーや大阪市教育委員会特別支援教育専門家チームアドバイザーを務める。
主な著書:『こどもの吃音症状を悪化させないためにできること-具体的な支援の実践例と解説』海風社,2022、『特別支援を難しく考えないためにー特別支援が子ども達の心に浸透するように』 海風社, 2011、『キラキラ どもる子どものものがたり』 海風社, 2007、『子どもがどもっていると感じたら-吃音の正しい理解と家族支援のために』(共著)大月書店, 2004.


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■ 連載:ギフテッドとは?
             第3回 ギフテッド2Eの人への本当の支援とは
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最近、日本でもギフテッド2Eへの関心が高まってきたように感じます。第1回でも書いていますが、日本では2Eの人への教育制度は整っていません。例えば、数学や理科が人にぬきんでた才能を持っているのに、書くことに著しい障害を持つ場合など、才能を伸ばす面と困難に対する二重に支援が必要です。そのあたりを理解してサポートしている教育者や支援者は少ないです。

また、「ギフテッド」という言葉は誤解が生じがちで、文科省の「有識者会議※2」では、限定されたイメージが論者により異なり議論が混乱するため、「特異な才能」と表現することになりました。「特異な才能」には幅広い領域・特性や程度の才能が含まれ、英語本来の意味の"gifted"に相当します。

※2 文部科学省「特異な才能のある児童生徒の指導・支援」有識者会議
【特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議】(2021年6月~2022年9月)

ギフテッドの基準には「高い知能指数(IQ)」が想像できますが、「特異な才能のある子」=「IQ130以上」などと定義したら、様々な問題が生じてしまいます。2Eの才能には一律の定義で判定できないのです。知能検査で高得点の場合、「ギフテッド(高知能)」だと指摘(判定)されることもありますが、「ギフテッド」という診断名はありません。
アメリカでは、才能教育の公式な才能識別基準で「才能児」を判定でき、その子が診断された発達障害を伴えば「2E」だと認定できます。日本では、発達障害の認定や才能面についても定義づけがきちんとできていないのです。

才能のある人は、2Eの障害特性による困難だけでなく、才能があるから生じた困難もあります。有識者会議のアンケート調査でも、学校で才能が原因の困難として、次のような回答例が見られました。

(1) 学習面:授業が簡単過ぎて退屈・苦痛だ、(2) 対人面:仲間とは難しい話が合わない、いじめられる、(3) 教師の対応:才能を理解してもらえず、発言・質問を無視・否定される。

こういった環境にならないように、学校側にも理解が必要です。

そのほか、「才能による困難」の一つに「過度激動」(OE:overexcitability)※3があると指摘されています。才能のある子のOEが不適応な行動になる場合、困ったこだわりや神経症的完璧主義など、学習・社会情緒的な問題となります。その結果、学業不振や不登校に陥ることもあります。OEの特性は、ADHDやASDの発達障害に表面上似ているので、誤診や過剰診断されることもあります。

※3 過度激動:IQが高いと外部からの感覚情報にも強く反応してしまい、一般の人が自然に受け入れることができる物事に過剰に反応してしまうOverexcitabilityと呼ばれるもの。過興奮性と呼ばれることもある。

「困っている才能のある子」は、どの学校でも存在することが、広く認識されるようになっています。教師がその特性に気づいて、子どもの内面を理解することが重要な鍵となります。

また、ギフテッド2Eの人の就職率は低くなっていて、当事者にいちばん求められる支援は就労支援だと言われています。ニューロダイバーシティ※4という概念がまだ浸透していない日本にもこういった考えをもっと広め、だれもが働きやすくなることが重要になってくると思います。

※4 ニューロダイバーシティ 経済産業省 
2Eや発達障害の人の6~8割が一般雇用で働いており、発達障害を伝えることに抵抗があるという人が多いのです。当事者は、企業の中で異質であることによるいづらさを感じています。労働生産性という数字で測ると、職場に自身の障害を伝え理解を求めている人は、100%に近い労働生産性を出していますが、カミングアウトできていない当事者の人はその数字が大変低くなっています。

これをクリアするには、企業側が歩み寄ることが必要です。生産人口が減っているなか、企業が個性のある人、とがった人つまり2Eのような人を受けいれ、インクルーシブな組織整備をすること。海外ではそれが進んでいます。

日本でも、障害のある人が働けないと損失となることを理解し、働きたいと思っている人に働いてもらうことが必要です。高齢者、障害者と同様、特異な才能を持っていても社会適用の妨げになる特性がある2Eの人にも、安心して働けるようになる企業となることに意義を感じてもらいたいと思います。

2Eについてより深く知りたい人へ

『才能教育・2E教育概論』 
2E教育フォーラム - 『才能教育・2E教育概論』 (2e-education.org)

[参考文献:松村暢隆(2023)「2Eの論点,2E教育フォーラム」(2023年8月16日閲覧)]「特異な才能のある児童生徒への支援の推進事業,2E教育フォーラム」

ライター。
編集制作会社にて、書籍や雑誌の制作に携わり、以降フリーランスの編集・ライターとして活動。障害全般、教育福祉分野にかかわる執筆や編集を行う。障害にかかわる本の書評や映画評なども書いている。
主な編著書に、『ADHD、アスペルガー症候群、LDかな?と思ったら…』、『ADHD・アスペ系ママ へんちゃんのポジティブライフ』、『専門キャリアカウンセラーが教える これからの発達障害者「雇用」』、『自閉症スペクトラムの子を育てる家族を理解する 母親・父親・きょうだいの声からわかること』『発達障害のおはなしシリーズ』、『10代からのSDGs-いま、わたしたちにできること』などがある。


■□ あとがき ■□--------------------------
レデックスでは、発達支援に関するセミナーを下記の地域で10月に実施する予定です。
開催都市:札幌、名古屋、堺、岡山、広島、宮崎、熊本、鹿児島

詳細が決まり次第、ご案内させていただきます。

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