守ろう!地球生きもの:阿寒湖マリモの不思議を学ぶ

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2022.02.04

守ろう!地球生きもの:阿寒湖マリモの不思議を学ぶ

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■   まえがき
■□  シリーズ:子どもゆめ基金のデジタル教材 
        新連載 子どもたちの豊かな科学的体験を支援
■□■ 連載 「若者ケアラー」大翔のものがたり(最終回)
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■□ まえがき ■□--------------------------
子どもたちの体験活動や読書活動を支援する子どもゆめ基金の助成で開発されたデジタル教材の新しい連載がスタートします。公益財団法人学習情報研究センター(略称、学情研)は、日本でのコンピュータを使った教育の創世期である1988年に母体が設立され、それ以来、様々な形で子どもたちのためのデジタル教材の開発に取り組んできました。子どもゆめ基金でももっとも多くの教材を開発している団体のひとつです。

学情研が開発したデジタル教材を、同団体の常務理事・事務局長の山本惠一さんに3回にわたって紹介していただきます。

もうひとつは、これまで6回に渡ってお送りしてきた、連載「ヤングケアラーたちのものがたり」の最終回です。

最後までぜひお楽しみください。

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 ■ シリーズ:子どもゆめ基金のデジタル教材
            新連載:子どもたちの豊かな科学的体験を支援
                          第1回 守ろう!地球生きもの:阿寒湖マリモの不思議を学ぶ
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学習情報研究センターは、学校教育及び社会教育の場におけるコンピュータ利用の促進を図るため、教育の場で使われる学習ソフトウェア等の収集・提供、デジタル教材の制作、調査研究等を行う公益財団法人です。

自然と触れあう機会の少ない子どもたちにとって、環境の問題や生物多様性の課題等について、理解を深めることは重要です。今回の教材「守ろう!地球生きもの:阿寒湖マリモの不思議を学ぶ」は、そういった目標に近づくために、自然環境保護の活動を進める団体の協力を得て開発しました。この教材を使うことで子どもたちが、体系的に情報を整理し、画像などを活用して考える学習活動を行ってくれればと考えています。

〇教材の概要
私たちが直面している環境問題には、地球の温暖化や異常気象、さまざまな開発行為による急激な生物種の縮小、在来生態系を破壊する外来生物への対策など、重要な課題が山積しています。とりわけ「生物多様性」は、年間4万種といわれる加速度的な種の減少が進む中、現象が分かりにくいため、問題が顕在化したときには危機が深刻化していることが多いのが現状です。

そこで、生物多様性の問題を身近なものとして捉え、外来生物や絶滅危惧種の状況を理解して、生態系の維持、バランスが人類に与える大きな影響を考えるための教材を製作しました。

※教材のトップ画面

特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」保護会の協力を得て、マリモや阿寒湖の生態系に環境の変化や特定外来生物が与える影響をとりあげ、これまでに得られた観察データや地域と子どもたちによる保全活動、調査の記録を分かりやすく教材にしました。
さらに、地域の子どもたちが実際に阿寒湖で観察した情報や保全活動の様子などを写真、ビデオで収録しています。

この教材はマリモの保護をとおして、子どもたちが生物多様性を自分たちにとって身近な問題として捉え、考える力を身につけられることを目的にしています。同時に、子どもたちが調べる力を育てるために、さまざまな情報を収録し、自ら行動して野外で活動することを支援します。

〇教材の構成
この教材は「みんなで作る阿寒湖マリモマップ」「学習教材」の二つから構成されています。

「みんなで作る阿寒湖マリモマップ」は以下のコーナーでできています。

※教材サイト「みんなで作る阿寒湖マリモマップ」

・マリモとウチダザリガニの生息域
・阿寒湖マップ
・観察カード

この教材では、マリモという生き物の生態やマリモという名前の由来などを解説しています。マリモが丸く生長するまでの過程から、阿寒湖のマリモの環境の変化、マリモを食べる生き物、マリモを守るために行われている保全活動などを紹介しています。

学習教材は以下のコーナーでできています。

※教材サイト「学習教材」

・マリモの生態系
・崩れていく生態系バランス
・生物多様性って何?
・マリモを食べるウチダザリガニ
・グラフで見るマリモの数
・みんなで考えるマリモの保護
・阿寒湖とは?

この教材は、マリモはどうやって丸くなるのか?なぜ根がなくても生きていけるのか? どのようにマリモが生長するのか、いま阿寒湖のマリモに何が起こっているのか、なぜマリモが絶滅しそうなのか。そんな疑問に答えていきます。

マリモは有名ですが、知らないことも多いのではないでしょうか。
マリモを調査するためには、まず「マリモ」を知ることが一番大事なことです。
こうした様々な観点から用意された教材を参考にして、マリモについて調べたり、マリモを守ることについて考えてみたりしてもらえればと思います。

〇教材の普及・活用
この教材は、当センター・ホームページの、子ども向け教材 開発教材・普及活動のサイト※で閲覧できます。制作からかなり年月を経ていますが、本サイトには毎月100件前後のアクセスがあります。

※教材サイト 

子どもたちがこの教材を利用することによって、生物多様性が自分たちの生活や未来に関わる重要な環境問題であることを理解し、それに対してどのように関わっていけば良いかについて考え、行動することを願っています。

◆山本惠一
公益財団法人学習情報研究センター 常務理事・事務局長



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 ■ 新連載:ヤングケアラーたちのものがたり
                      最終回:「若者ケアラー」大翔のものがたり
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こんにちは。15歳から30歳代の若者支援専門ソーシャルワーカー事務所SURVIVEの代表の美濃屋 裕子と申します。私たちが出会ってきたヤングケアラーたちについて、事実をもとにしたフィクションのものがたり形式でお届けしてまいりました。
最終回の今回は、私が若者支援専門のソーシャルワーカー事務所をたちあげたきっかけになった若者の一人である真鍋 大翔(仮名)のものがたりをお話ししたいと思います。時代は、数年前、「平成」の終盤のものがたりです。

「アポなしですみません」
キャリアカウンセラーの森本さん(仮名)が相談室を訪れたのは、肌寒くなり始めた11月の午後でした。森本さんは、この春に定時制高校を卒業して、地元の工場に就職した真鍋 大翔を連れています。

「真鍋君、どうしたの?今日は平日だけど、お仕事はお休み?」そう尋ねた私に、大翔は苦笑いで答えました。
「仕事は、先月末に辞めました。今日は次の仕事とか働き方について、森本さんに相談しに来たんです」

一体どういうこと?!何があったの? さすがの私も動揺を隠しきれません。
大翔の就職を決めることは、前年度、キャリアカウンセラーの森本さんと私にとっては大きな目標でした。

大翔は、父親と二人暮らしの父子家庭の高校生でした。大翔の父親は双極性障害と、アルコール依存症を患っており、症状がひどいときには、大翔に暴言を吐いたり、物を壊して暴れることもありました。酔いつぶれた父親は、仕事や家事はもちろん、入浴やトイレなど普段の生活もままならない状況が続いており、その影響と世話(ケア)で、大翔の生活も荒れ、全日制高校を退学して、定時制高校に入学してきました。
そのころには『ヤングケアラー』の問題はほとんど認識されていませんでした。前籍校の先生たちからは、大翔は家庭に問題があって、学校をサボりがちな生徒としかみられていなかったようです。

定時制には、ヤングケアラーだけでなく、さまざまな困難や家庭の事情、生きづらさを抱えた生徒たちが集まっています。先生たち教職員には「困った生徒は困っている生徒である」という認識と、温かい眼差しがあり、生徒の悩みに寄り添う文化が醸成されていました。生徒たちも、自他の痛みに敏感で、ともに支えあいながら過ごしています。大翔は理解ある環境の中で、学校に通う意欲を取り戻し、所属していたクラブでは副部長を務めるなど、ケアと並行しながらも充実した高校生活を送っていました。

前年度、大翔は正社員になって一人暮らしをすることを目標に、就職活動を進めていました。この頃、大翔の父親の状態は比較的良好でした。訪問看護などの支援を受けるようになったことで、大翔のケアの負担自体も減っていました。それでも、就職したばかりで、慣れない仕事をしつつ、父親の世話をすることは、親子が共倒れになりうるのではないかという懸念もあり、父の同意も得て、寮付きの職場への就職を目指していました。

全日制高校の退学歴がある大翔の就職活動は、一筋縄ではいきませんでしたが、理解ある職場から内定を得ることができました。二人三脚で就職活動を支え続けてくれていたキャリアカウンセラーの森本さんと大翔が、二人で涙を流して喜んだ日から、まだ1年経っていません。

就職してからの日々のことを、大翔は話してくれました。
オレが寮に入り、一人暮らしになったあたりから、父の病状が急激に悪化したんですよ。同時期に、慣れていた訪問看護の担当者が変わったことも影響したみたいです。父が、今までで一番ひどい躁状態に陥ったんです。言動がすごく攻撃的になって、訪問看護やケースワーカーの訪問も拒否するようになりました。深夜まで大騒ぎしたり、トラブルを起こしたりすることが増えて、警察沙汰になったこともありました。生活できなくなるくらいお金を使うようになって、ついにはオレの職場や寮へおしかけてきて、カネを出せなどと怒鳴り散らし始めるようになりました。

会社に迷惑をかけるわけにはいかないと思って、寮から実家に戻ることにしました。家事を行い、父の服薬を管理し、アルコールを家中から隠し、荒れる父親をなだめながら、片道1時間かけて工場に通って仕事をする……そんな生活を数か月続けたんです。慣れない仕事と、ケアの負荷はかなりキツくて、仕事ではミスが増えたり、体調を崩したりすることも増えて、オレ自身が適応障害を発症しました。仕事へ行けなくなった俺に、工場長は休職を勧めてくれたんですけど、これ以上職場に迷惑をかけたくなかったし、なによりオレ自身の気持ちが切れてしまって、仕事を辞めることにしたんです。

大翔は続けました。
辞める前に、高校に相談することも考えました。でも、みんなにあんなに世話になって、あんなに喜んでもらったのに、あまりに情けなくて顔向けができなかったんです。そもそも相談に行けそうな時間もありませんでした。
父親は先週、アルコール依存の治療のために入院しました。オレが退職したことで、さすがにこのままではいけないという自覚ができたのかもしれません。ただ入院は今回が初めてじゃないし、正直、治療効果にはあまり期待はしてないんです。
でも、父から離れたら、少し冷静になれて、これからのことを森本さんに相談しようと思えたんです。

大翔には、まずは適応障害の治療に専念し、心身が回復してから、仕事探しを始めることを提案しました。
大翔はすぐにでも働き始めたいと考えていたようですが、今の心身の状況で働き始めても、また早期離職になる可能性が高いから、まずは生活を立て直そうと伝えると、大翔は納得しました。

年が明けたころ、大翔の主治医から、週3日程度の就労の許可がおりました。
森本さんのサポートもあり、スタッフが家族の看護や介護をしながら働くことへ理解のある高齢者介護施設に非常勤の契約社員として働くことが決まりました。大翔がいままで父親の世話をしてきたことが評価されての採用でした。

数年経ち、大翔は現在、正社員に登用され、フルタイムで活躍しています。
職場には、老齢となった親の介護をしながら働いている同僚たちが複数おり、若くしてケアと仕事を両立させてがんばっている大翔へ温かい理解と共感を示してくれているようです。そのことが大翔にとっては支えになり、励ましになり、働き続けることができたようです。

「今思えば、オレってヤングケアラーだったんですよね」先日、近くに立ち寄ったついでに、数年ぶりに相談室を訪ねてきた大翔が言いました。大翔は、来春からチーフに昇格することが決まったようです。
「うん、そうだね。大翔みたいに18歳以上で、仕事や学業と並行して家族のケアをしている人を『若者ケアラー』って呼ぶみたいだよ」そう返した私に、大翔は言いました。

オレは学生の頃も大変だったけど、一番しんどかったのはやっぱり、最初の職場の頃ですね。学校は、先生たちに理解があって、配慮してくれて、授業は寝ててもなんとかなったけど……仕事はそういうわけにはいかないじゃないですか。学校にはスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーがいて相談に乗ってくれました。“オレのため”に動いてくれる大人たちが何人もいました。でも、社会に出たら、そういった配慮やサポートがなくなる。仕事のスキルも経験もほとんどない中、仕事だけじゃなく、家事もケアも全部自分でやんなきゃいけないのに、“オレのため”に動いてくれる人はいないんです。

大翔の言うとおり、まだまだ十分ではないものの、定時制以外の小・中・高校でもヤングケアラーの認識が進み、高校生までは学校からの理解や配慮の中で過ごすことが可能になりつつあります。児童相談所や自治体の子ども家庭課などの児童福祉の支援機関が支援をしてくれることもあります。
しかし、高校を卒業し、18歳を過ぎた若者ケアラーに対する支援はほとんどありません。これはケアラーに限らず、虐待家庭、機能不全家庭や困窮世帯などの若者たちも同様です。置かれた環境に翻弄される若者たちに、自己責任での対応を押し付けている社会があります。

やりなおしがききにくく、若年期をどう過ごすかによって、生涯にわたる格差が固定されやすいこの社会において、置かれた環境、抱えた生きづらさによって不利益を被る若者を少しでも減らしたい。
大翔たちと出会ったことをきっかけにして、私は若者支援専門のソーシャルワーカー事務所を立ち上げました

6回にわたり、ものがたり形式でヤングケアラーたちの現状を伝えてきましたが、いかがでしたでしょうか。

ヤングケアラーたちのケアと人生は、「ヤング」と呼ばれる時期を超えても続きます。
ケアを行う子どもたち、ケアを続けている若者たちの想い、生活、人生に、思いを馳せていただくきっかけになれば幸いです。

いままで読んでくださってありがとうございました。

◆美濃屋 裕子(みのや ゆうこ)
1982年生まれ。臨床心理学科卒業後、民間企業へ就職。
その後、紆余曲折を経て児童福祉業界へ。15歳以降の“若者”世代への支援の手薄さに危機感を感じ、若者支援専門のソーシャルワーカー事務所SURVIVEを設立。同代表。
高校スクールソーシャルワーカー、公的機関の外国人教育相談のケース会議アドバイザー等を兼任。


■□ あとがき ■□--------------------------
次回は、2月18日(金)を予定しています。

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