ADHDの下位分類と発症年齢、食物アレルギー:その後、そしていま思うこと

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2023.11.02

ADHDの下位分類と発症年齢、食物アレルギー:その後、そしていま思うこと

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■   まえがき
■□  連載:ADHDの下位分類と発症年齢
■□■ 連載:食物アレルギー:その後、そしていま思うこと(最終回)
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■□ まえがき ■□--------------------------
今回から新しい診断基準、DSM-Vの解説の続編を、吉田ゆり・長崎大学教育学部・教育学研究科教授に連載していただきます。今シリーズはADHDについてです。

前回のASD(自閉スペクトラム症)のシリーズをまだお読みになられていない方は、以下からご覧ください。

2023年1月13日号 

 
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■ 連載:教育・心理的支援において診断基準をどう読むか・理解するか
             第7回 ADHDの下位分類と発症年齢(注意欠如多動症・1)
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このシリーズでは、教育関係者や心理支援職が改めて診断基準を読むときの留意点を解説しながら、どのように診断基準と付き合っていけばいいのかをご一緒に考えることで、発達障害の改めての理解につなげていければと思います。

医師の先生方にとっての診断基準と、教育関係者や心理支援職にとっての診断基準は、もちろん同じものですが、その意味はかなり異なるように思います。

今回のシリーズでは、DSM-V及びDSM-V-TRについて、発達障害の診断基準を丁寧に説明させていただいております。今回から注意欠如多動症に入ります。

DSM-V及びDSM-V-TRでは、注意欠如多動症(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)という名称が採択されました。DSM-Vでは、注意欠如・多動症と注意欠如・多動性障害が併記されていましたが、TRになり、注意欠如多動症に統一されたことになります。略語は、これまで通り、ADHDです(以下、ADHDと表記します)。

 
●ADHDの下位分類について
診断基準上の名称について少々くどい説明になるのは、理由があります。ADHDは、これまでも下位分類について、再三の議論が繰り返されてきたからです。

ADHDは、ご存じの通り、不注意症状と、多動-衝動性の大きなふたつの症状に分かれています。これをそれぞれ単独の障害としてみるか、あるいは合併することがあることに重きを置くかで、これまでも診断基準が大きく変更してきました。

診断基準では、コードが付されていますが、以下の3つのコードを特定することになっています。

〇いずれかを特定せよ

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F90.2 不注意・多動衝動性がともにみられる状態像:過去6か月間、基準A1(不注意)と基準A2(多動-衝動性)を共に満たしている場合
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これを、【混合状態】としています。医師の診断書では、「混合して存在」などと表現されることもあります。DSM-IVでは、混合型とされていました。

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F90.0 不注意が優勢にみられる状態像:過去6ヵ月間、基準A1(不注意)を満たすが基準A2(多動-衝動性)を満たさない場合
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これを、【不注意優勢状態】とします。DSM-IVまでは、不注意型と言われていたため、今でも医師の診断書では不注意型と表記されることもあるようです。不注意優勢状態は、これまでも、DSM-III(1980)では注意欠陥障害(ADD)などと言われてきました。多動症状を持たないことで非常に目立たず、分かりにくい症状です。しかし、これまでもADDの診断は一定数なされてきました。

DSM-V-TRでは、不注意を「課題から気がそれること、指示に従う事、仕事や用事を終わらせることができないこと、集中し続けることの困難、およびまとまりのないこととして、注意欠如多動症で行動的に明らかになるが、それらは反抗や理解力の欠如ではない」と説明しています。

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F90.1 多動-衝動性が優勢にみられる状態像:過去6か月間、基準A2(多動-衝動性)を満たすが、基準A1(不注意)を満たさない場合
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これを、【多動-衝動性優勢状態】とします。DSM-IVまでは、多動-衝動型と言われてきました。
DSM-II(1968)には、Hyperkinetic Reaction of Childhood (子どもの多動性反応)とされていましたが、改訂により1969年に Hyperkinetic syndrome(過動症候群)へ、DSM-III-R(1987)には注意欠陥多動性障害(AD/HD: attention deficit / hyperactivity disorder)となりました。

とくに幼児から児童期では、多動であることは非常に目立ちます。いわゆる「落ち着きのない子」は、1902年のStillの研究でも「道義的統制の欠如」「医師による行動抑制の重大な欠陥の現れ」を示す43例が報告されており、これが多動症状の臨床研究の始まりとも言われています。このように、多動の症状はかなり以前から、問題として指摘されてきたわけです。

DSM-V-TRでは、多動性と衝動性を以下のように説明しています。

多動性:不適切な場面での(走り回る児童といった)過剰な運動活動性、過剰にそわそわすること、過剰にとことん叩くこと、またはしゃべりすぎることを指している。成人では、多動性は、過剰に落ち着きないこと、あるいはその活動で他人を疲れさせることとして現れるかもしれない。

衝動性:事前に見通しを立てることなく即座に行われ、その人に害となる可能性のある性急な行動(例:注意せずに道に飛び出す)のことである。衝動性は、直ぐに報酬を欲しがること、または満足を先延ばしにできないことに現れるかもしれない。衝動的行動は、社会的侵害及びまたは長期的結果を考慮せずに重要な決定を下すことなどによって明らかになるかもしれない。

多動性と衝動性は、診断基準上はどちらと明記されているわけではありません。

こうしたことから、DSM-V-TRは、それまでのような下位分類(タイプ分け)をするわけではないにしても、混合状態、不注意優勢状態、多動-衝動優勢状態の3つでその症状の傾向を分けていく考え方を採用しています。

 
●ADHDの発症年齢
ADHDは、児童期に発症することが診断の条件です。いくつもの症状が12歳になる前に出現するという要件が課されています。12歳以前に症状がない場合には、ADHDという診断はできないことになります。

DSM-IVでは、発症年齢は7歳以前と規定されていました。これが12歳となったのは、多動症状は幼少期から目立ちやすいのに比べて、特に不注意症状がわかりにくいことも背景にあると考えられます。

多動症状についてはそれでも、あまりにも小さい時には「子どもだから元気が一番」「男の子だからよく動く」などという一般的な育児観によって気が付かないことも多いようです。

DSM-V-TRでは「多くの親は幼児期早期に初めて過度の運動活動性を観察するが、その症状は4歳以前の非常に多様な正常範囲の行動から区別することが困難」と言っています。つまり、4歳以前に「この子、ずいぶん動き回るなあ」というような育てにくさを感じていても、それが他の子どもとは違う動きの質と量である、というような気付きには結びつきにくいということでしょう。

小学校に入ると、椅子に座って一日を過ごすことが求められ、ウロウロと立ち上がったり歩き回ったり、時には教室を出ていくようなことがあると、非常に目立ちます。教師も困りますし、保護者も指摘されることが多いですね。そうなると「ちょっと問題だ」ということが明確になるので、これは正常の範囲ではない、というような認識に至ることになります。よって「小学校年齢で同定される」と記述されているわけです。

一方、不注意症状は、幼少期にはほとんど問題にはなりません。しかし、小学校に入ると、忘れ物が多かったり、指示をよく聞いていなかったり、授業中にぼんやりしていたりと、少しずつ症状が明確になるようです。

こうしたことから、学齢期、小学生段階での症状の同定を基準にして作られている、というようなことになります。

次回から、ひとつずつの症状について説明をしたいと思います。

◆吉田 ゆり(よしだ ゆり)
長崎大学教育学部・教育学研究科 教授。専門は発達臨床心理学。
公認心理師、臨床心理士、臨床発達心理士、そして保育士でもある。

 
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■ 連載:食物アレルギーとわたし
             第5回 その後、そしていま思うこと(最終回)
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2007年5月、書き上げたエッセイ『あなたを守りたい』原稿用紙70枚余りを持ってすぐ動き始めました。でも読んでもらうことは容易ではありませんでした。なかでも一番わかっておいて欲しい同級生(小学校5年生)に読んでもらうのは難しいと感じました。自費出版も考えはしましたが、結局断念…焦りと不安は増すばかりでした。

そんな時、1枚のチラシに目が留まったのです。地元、それも、自宅にとても近い会場で開かれる手づくり絵本展のチラシでした。手づくりの一冊を作る講習会もあるとのこと、すぐ問い合わせてみることにしました。

昼食を挟んだ一日がかりの講習が2回。下の子二人(次女と三男)を置いて参加する訳にもいかず、アレルギーのことを確認する必要がありました。突然の問い合わせでしたのに、対応してくださった企画者側の方はとても温かく受け止めてくださり、娘のアレルギーのことを心配せずに参加できるようにしてくださいました。

下の子二人も参加したいとのことで、その日が来るのを楽しみにしていました。ところがその直前、わたしの体調が悪化。無理を押してあちこち動き続けていたこともあり、身体が悲鳴をあげたのです。

申し込んであった手づくり絵本展の講習も断わるしかないかもとまで思ったものです。でも、「あそこまで温かくアレルギーの対応をしていただのに断るのは申し訳ない」そんな思いが頭から離れず、無理を押して参加しました。そこで思いもかけぬ出会いが訪れようとは、知る由もなく。

講習が始まり、参加者の皆さんが創作を始める時間になっても、わたしの手はあまり動いていませんでした。参加者の様子を見ながら回ってみえた先生が声をかけてくださったので、思い切って現状をお伝えしました。どういう絵本が作りたいか、文はだいたい書けているが絵が描けないことを伝えると、先生は「おりがみを手でちぎってみるといいかもしれませんよ」とアドバイスしてくださいました。わたしは、まず作ってみました。思いの他難しかったです。その場でほとんど出来ず、次の講習までの宿題となりました。実は次の講習では、最後に自分の作品をみんなの前で発表する時間が設けられていました。

その当日、わたし以外の参加者は作品をほぼ完成させて発表していました。ところがわたしは、ほんの2~3ページ程しか作れていませんでした。先生にそれを伝えると「出来ているところまででいいので発表してみて」とのこと。わたしは「こうしてこうしてこんな風な作品に仕上げたいです」みたいな発表をしたと思います。その直後、先生がみなさんに向かって「この作品も皆さんの作品と一緒に絵本展の会場に並べたいと思います」と言ってくださったのです。この言葉をきっかけに、わたしの手づくり絵本づくりに没頭する日々が始まったのです。
 
わたしが夢中で作っている横では、下の二人が自分の作品のバージョンアップに励んでいました。上の子たちが見かねて洗濯物をとりこんでくれたり、夕食を作ってくれたりしたことを覚えています。ただ限られた時間のなかで仕上げなければいけなかったので、甘えるしかありませんでした。有名でもない素人の作品を読んでもらい、命を守ってもらうには、「全てを手でちぎるしかない」と覚悟を決めていました。
 
頭と顔を合わせるのにも苦労しましたが、何より苦労したのは字でした。それでもなんとか全てを手でちぎって作りました。最後の仕上げは、講師の先生のご自宅まで伺い仕上げることになりました。

実は今年6月29日先生と再会することができました。先生のお声かけもあり、つくでブッククラブより講演の依頼が入ったのです。食アレスマイルネットのメンバーに車に乗せてもらって伺ってきましたが、思いの他遠く、あの時は、よくぞあの体調のなかここまで一人で来たものだと自分で自分を褒めてやりたい気持ちになりました。

完成させた作品は、一緒に講習を受けた皆さんの作品とともに会場に並べられました。この手づくり絵本展会期中には交流会も企画されており、各々が自分の作品をグループの皆さんに紹介できる時間も設けられていました。この絵本で人に伝えることができるのか、不安いっぱいのなか順番が来るのを待ちました。そしてやってきた自分の順番、そこには一つの作品を温かく受けとめ素直な感想を届けてくださる方々がいらっしゃったのです。
 
あれから16年、いまでもその時作った手づくり絵本『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』は、わたしの大切なお供の一人(?)と言っても過言ではありません。自分の産んだ子どものような特別な存在であり続けています。

わたしがそれらの絵本を持って動き続けることができたのは、声を届けていただけたことが大きかったと思っています。最初に声を届けてくださった手づくり絵本展交流会で出会った皆さんや会期中読んでくださり伝えたいと思ってくださった皆さん、学会での手づくり絵本読み聞かせで出会った医療関係者の皆さんはじめ「いいですね。使えます」と言ってくださった多くの医療関係者の皆さん、「この絵本があったからここまで来ることができました」とまで言ってくださった皆さん、読み聞かせをしてから10年近く経つのに「栗田さんに読んでもらったことがあります。覚えています」と言ってくれた成長した子どもたちとの偶然の再会、授業や部活でわたしの話を聞き「伝えたい!」と真っすぐに動いてくれた高校生たちとの出会いそして訪問した先で出会った真剣に耳を傾けてくださった多くの方々等々。
 
その一方で、いまだに「使えるものがあったんですね。もっと前に出会いたかった」という声に出会うことも珍しくはありません。47都道府県全ての図書館に絵本を贈呈してもどんなにお金と労力を使って47都道府県を自分の足で歩いて回っても、必要な本を必要な人のところに届けることの難しさを痛感し続けています。まだまだ動きをとめることはできません。
 
なぜわたしがこれ程までに絵本にこだわるのか、この連載第1回で「自身の幼い頃のある体験が根っこにあった」と書きましたが、少しその話に触れたいと思います。
 
わたしは、田舎の町の兼業農家に昭和38年(時代背景がわかると思い伝えます)に生まれ、育ちました。田んぼや畑が遊び場でした。父はサラリーマンで留守が多く、母は電化製品も少なく忙しかったので、祖父母、なかでも祖父と過ごすことが多かったです。薪割りと風呂たきが祖父とわたしの仕事でした。

そんな祖父のもとを、ある有名大学の先生方が訪れたのです。祖父のことを「先生、先生」と呼び、長時間本当に熱心に話を聞かれていたのを覚えています。幼な心に不思議な出来事でした。祖父は、浄瑠璃姫のことを歩いて調べ2冊の本を自費出版しました。その本に興味を持った大学の先生が話を聞きにみえたのです。随分あとになって、ある公立図書館からその本の在庫の問い合わせがあったことも母から聞いています。祖父が他界してから長い時間が経過してからのことです。本(絵本も含む)というもののこうした不思議な伝わり方の体感があったことは、きっといまのわたしに何らかの影響を与えていることでしょう。
 
絵本は存在するだけでは広く人の心を救うことは難しいです。その存在を知らせ、必要だと思った人が手にとることで、初めてより多くの人の心を救うことに繋がるのだと思います。「読んであげたい」そう思って手にとってくださる方がみえれば、さらにその効果は大きくなるだけではなく、特別な意味を持つことにも繋がると思うのです。それが、人の声を介して伝わる読み聞かせの力だと感じています。この奥の深い読み聞かせの力をどうしたら生かすことができるのか、どう生かせばよいのか、絵本専門士として学びを深める必要もあると感じます。

絵本は自分の行かれないところにも自分の代わりに行ってくれるかもしれない、そんな思いをずっと抱き続けています。絵本と出会った方が「伝えたい」と思って読んでくだされば、その周りにいる子どもたちの心が救われるかもしれない、そうあって欲しい、それがいまのわたしの願いです。

いつか「こんな絵本が必要な時代もあったんだね」と言われる日が来るまで、絵本の力を信じて動き続けていきたいです。

現在第3作を模索中、まだまだ時間はかかりそうですが、いつかどこかで出会っていただけたらうれしいです。皆さんに「出会ってよかった」と思っていただけるような絵本が作れるよう努力を重ねます。

第2回から第4回に掲載したエッセイは、本当は以下の文面で締めくくられています。

「私達はこうしてここまで来られました。多くの方に見守られながら。でも終わりではありません。これからもいろいろな問題はでてくるのでしょう。身体の続く限り、一緒に悩み守っていきたいです。
多くの方への感謝と生きていられることへの感謝を胸に…。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。」

ほぼ変わらぬ思いで動き続けてこられたこと、またその思いが一つの命を守ることからスタートし、より多くの方々の心を救うことへと繋がってきたことをこの連載を通じ気づかせていただいたことに感謝します。

皆さんが笑顔でいられますようにと願いながら、ここで一旦ペンを置きます。
いつかどこかで会えるといいですね。

食アレスマイルネット 公式HP


同 インスタグラム

 
◆栗田洋子(くりたようこ)
食アレスマイルネット(愛知県岡崎市子育て支援団体・岡崎市市民活動団体)代表 絵本専門士
絵本を持っての食物アレルギー啓発活動に加え、絵本や絵本の読み聞かせの大切さを伝える活動にも力を注ぎ続けている。
絵本『ともくんのほいくえん』明元舎、『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』ポプラ社
2017年度 筑波大学同窓会茗渓会 茗渓会賞を受賞
第75回 厚生労働省 保健文化賞を受賞(2023年)



■□ あとがき ■□--------------------------
就学時健診とは何か、検査後どうなるのか、といった疑問をわかりやすく動画にしました。
・就学時健診の目的
・概要
・事前に知っておくと良いこと

「発達障害かな?」と思ったら…|就学時健診と発達相談編


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