ディスレクシアとは?

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2019.10.11

ディスレクシアとは?

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■ 新連載:ディスレクシアとは?
■□ 連載:情報化の進展に対応した教育:学校はどのように変わるべきか
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■□ まえがき ■□--------------------------
以前「成人ディスレクシアの独り言」と題して、当事者の井上智(さとる)さんに連載をしていただきました。

井上智さん掲載メルマガ一覧 

2年が経過しましたので、ディスレクシアの現況について、認定NPO法人EDGE(エッジ)※の藤堂栄子会長に解説していただきます。

認定NPO法人EDGE 

連載の構成は、以下の通りです。

ディスレクシアとは?
ディスレクシアとは? その2
合理的な配慮 1 基本的な考え方、前提となるアセスメント
合理的な配慮 2 具体的な配慮、成人になっても
最近の動き:読書バリアフリー法、デジタル教科書
その他の読み書きが困難な人(外国人、目が悪いなど)
全人的に育てることの大切さ、成功例
アジア太平洋におけるディスレクシア

様々な角度からの解説で、ディスレクシアについて理解を深めていただけると思います。ご期待ください。
 

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 ■ 新連載 ディスレクシアとは?    
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「ディスレクシアという言葉をお聞きになったことはあるでしょうか?」と教師などを対象とした講演会や研修などで聞くと、以前は一人か二人だけしか反応がなかったのが、最近では半数くらいが手をあげてくれるようになってきた。でも、いまだに詳しくどのようなことで本人たちが困っていて、支援や指導をしたらよいのかが具体的に分かる人はとても少ない。

「発達障害」という用語が医療用語ではなく使われるようになって10年以上が経って、この言葉を聞いたことがある人は大変多くなっている。が、大概が社会性やコミュニケーションに問題があるとか行動面で落ち着きがないなど、表面的な意味での自閉症スペクトラムやADHD(注意欠陥多動症)を思い浮かべている。

実は発達障害の中のLD(学習障害)は一番人数が多いにもかかわらず、ほとんどメディアなどでも取り上げられず、対応が遅れている分野である。中核症状であるディスレクシア(発達性読み書き障害)は医療ではなく、教育での対応が一番大切な対応である。日本では特別支援教育の対象になっており、診断のあるなしにかかわらずニーズがあったら対応する旨謳っているが、実際の学校現場などでは対応がなかなか進まずにいる。

私がディスレクシアという概念を知って20年間で数々の法律ができ、政策が進み、予算もあるにもかかわらず、正確に知られていないことや、ICTの使用を阻む社会システムや人材不足、教員研修が不十分な上忙しくそれどころではないことや保護者の誤解などが複雑に絡みなかなか効果的、効率的に対応がなされていないのが現実である。

ディスレクシアとはDYS(できない)とLEXIA(読む)というギリシャ語から来た医療用語で、もともとは成人した人が後天的に脳の損傷が生じ本来読めていたのに、読めない状況になった状態を示していた。子どものころからそういう症状があるということが分かったのは、19世紀の後半である。生まれつきであることから発達性ディスレクシアと呼ばれる。読むスピード、すらすらと読む流暢性、そして正確に読めるかという3点でディスレクシアかどうかを知ることができる。

英語圏ではその言語の特性※から発現率が高く、その分研究も早くから進んでいて、音韻意識(音と文字をつなげ、操作する力)が弱いのが一番影響を与えていると考えられている。鏡文字(「さ」と「ち」)、角度(「い」と「こ」)、偏と旁(つくり)を入れ替える(「短い」を「豆矢」)などは特徴的な視覚認知の影響といえよう。よく、テレビなどで紹介される文字が躍る、動くなどは本来のディスレクシアの症状ではないが併発することもある。

※同一発音の言葉が多い、文字に鏡文字など似た形状のものが多い等。

宇野彰先生の調査では日本語における発現率は5%から8%となっているが、日本語を母語とする人の英語での発現率は残念ながらまだ調査されていない。おそらく相当高くなるだろうと経験則的に思う。

日本語ではひらがな、カタカナは「透明性」が高い文字と呼ばれ、音と文字の対応が単純である。小学校2年生の終わりには99.8%の子どもが読むことはできるようになる。小学校低学年で発見されるのはとても重い状態の場合が多い。そのあと、漢字が出てきても初めのうちは「火」「目」など元の形と意味が分かり、読み方も一つだけだが、学年が上がるに従い、複雑な読み方をする熟語や画数が多くなり、学習するのが困難になってくる。そのあとアルファベットが出てきてローマ字というほとんど実用に供せられないものの学習が入り、英語の学習になると壊滅的な状態になることも多い。

次回は、ディスレクシアはどのような症状で本人たちはどのようなことで困っているのかをつづっていきたい。

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 ■ 連載:情報化の進展に対応した教育
      第3回 学校はどのように変わるべきか  
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このような未来を担う子供たちへの(これからの)教育についてはどう考えていけばよいのか。

1つは新しい技術や機械をどのように教育に活用できるかという視点である。一人1台のPCの実現は笑い話のようになっていて、(もはや厚手の紙のように薄い)学習用タブレット、教材用タブレット、教科書用タブレットなどを複数冊(本のような値段で何冊も購入できる)を持ち歩くようになるであろう。

学校組織は数十年後も残るであろうが、教科の学習に関しては洗練されたロボット付教材の方が教え方の研究成果が反映しているので人間教師よりも上手で、学校には、教科指導とは別の機能が要求されるようになるであろう。例えば、集団の中での人の役割や社会とのかかわりを実践的に体験する、自己の生き方を考える、問題解決を協調的に学ぶなどである。当然、教師に求められる役割も、教える人からメンターやパートナーとしての立場にシフトする。黒板も建物を建て替えるタイミングで、大型のiPadのようなものになるだろうし、討論したりまとめたりする机自身が大きなタブレットPCになっていくことが予想される。それらは夢のような話に聞こえるかもしれないが、すでにコストだけがネックになっている技術であり、情報管理や操作性の研究も含め、実験的には取組まれていることなのである。

このとき、これらの技術を、もの珍しく追いかけて行くことが教育の姿ではない。どのような情報がどのように受け取られ、メディアを介してどのように流れていくのか(流れていくべきか)を機能としてみる必要がある。どんな時代にあっても、教育の本質はひとが考え・学ぶことであり、教育する側は、情報の探索や確認の方法、人と人とのかかわりの場作り、模倣の支援、成長のプロセスの中での体験、対象の理解や思考、問題解決の場を提供することが求められるからである。これらを支援するために、あるいは拡大するために、新しい技術がどう機能できるか考えることがいつでも求められる。

2つ目の視点は、第1回にも触れたように、時代が変化していくことを見超して、これからの人間にはどのような能力が必要になっていくかを予測し教育の内容やカリキュラムを改革して行くことである。

学習指導要領の改訂が10年毎ということもあり、また学校制度が若干保守的であることとも関係して、学校での教育内容はなかなか変化しない。しかし、彼らが大人になり、社会で中心的に活躍するころにはロボットが多くの仕事を担っている。

ある未来学者は、「将来は、定形的なほとんどの仕事をロボットが行い、人間の仕事は2極化される。ロボットではできない状況に対応した創造性の高い行動的な仕事か、ロボットがやりのこした(ゴミを拾うような)細かで賃金の低い仕事である。」と予測している。確かに、知識や情報を記憶していること、マニュアルに沿って何かをするような仕事は、ロボットの仕事になるであろう。

その時を想定して、私たちは、ロボットに命令して仕事をやりこなせる創造性や行動力を子どもたちに育成できているか。情報活用能力、コミュニケーション能力、表現力や判断力の育成を中心としたカリキュラムに学校教育の内容と方法をシフトしていくことは、のんびりした話ではない。将来を担う子どもたちの能力を育成することは、私たち教育者の責任だからである。

プログラミングは、自分の生活や仕事の支援者としてロボットをうまく制御するために必須となる概念であるが、いまのようなプログラミング言語による制御型のソフトではなく、事例学習型のシステムになる。AI技術を駆使したロボットとはどのようなもので、どのように制御すれば、うまく社会で利用できるようになるか、というのが最も重要な情報教育のテーマとなろう。

3つ目の視点は、情報が制御できないほど大量になり、子どもたちがそれに巻き込まれることを事前に予想し、それに対応することを教育的にあるいは社会的に進めておくことである。

情報モラル教育などで取り上げられている現在の内容は、社会の変化に若干後手に回っている。ネットワークが普及し、端末がどこでも手に入って、子どもたちがそれに巻き込まれたらどのようなことが起こるのか、教育者や技術者、そして政治家は予想できなければならないだけでなく、あらかじめ社会的に制度的に対応しておかなければならない。

経済優先でものが売れればよい時代はもう終わった。重視すべきは、人が安全に生きがいをもって暮らせる社会を実現することであろう。

お酒やたばこは青少年には有害であり、法律で制限をかけている。大人だけを対象とした商品も、子どもに悪影響を与えないよう、さまざまな規制がある。しかし、情報化については、技術の普及の前に教育的に配慮された対応がなされたということがすくない。何か事件や事故が起こってからの対応になっている。

例えば、3Dプリンターで何でも作れるようになる前に作ってはいけないものを作れないようにする技術が必要であろうし、そのためのモラル教育も欠かせない。映像合成や編集の技術も簡単にだれでも利用できるようになるので、もはや実写と合成の区別をつけることも難しくなる。それは真実と虚偽を見分けることが難しくなることを意味する。高精細大型パネルや3次元の仮想空間の表示技術は、教育や娯楽に大いに役立つだろうが、実用段階では、現実と創作とを区別できるような印の表示を出すような仕掛けにしておかなければ困る。また大きな画面や仮想空間には、生理的にあるいは感情的に再現してはいけないものもあろうから、あらかじめ検討すると同時に法律でも規制しておく必要がある。

現在のネットワーク技術では、一度流通した情報は、真実であってもそうでなくても、本人の意思とは無関係に流通する。プライバシーの権利に関する考え方(自分の情報を自分でコントロールする権利)とは矛盾する技術が発展していることになる。コンピュータのソフト技術を駆使して、発信者が最後まで情報をコントロールできるようなネットワークの仕組みができないものであろうか。健全な情報化社会の発展のため、教育的配慮のある新しい仕組みの実現を、若い人たちのアイデアとエネルギーに託したい。

永野和男
聖心女子大学 名誉教授、法人本部 参与
JNK4 情報ネットワーク教育活用研究協議会 会長
JAPIAS 学校インターネット教育推進協会 理事長


■□ あとがき ■□--------------------------
11月9日(土)から2日間パシフィコ横浜会議センターで、日本LD学会第28回大会が開かれます。レデックス株式会社はその両日、展示コーナーを設けます。

日本LD学会第28回大会概要 

また、10日(日)午前9時45分から、岩永竜一郎・長崎大学教授が「感覚・動作アセスメント」に関する自主フォーラムを開催します。場所は、第6会場 (3F304)です。

日本LD学会第28回大会プログラム 
次回メルマガは、10月25日(金)です。

10月12日・13日は大型台風の本州への上陸が予想されています。読者の皆様、お気をつけてお過ごしください。

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