性とお金と親亡きあと-タブー視されがちな領域の支援

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2017.11.24

性とお金と親亡きあと-タブー視されがちな領域の支援

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■ 新連載:性とお金と親亡きあと -タブー視されがちな領域の支援
■ 連載:成人ディスレクシアの独り言:隠して生きていくということ
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──■ 新連載:性とお金と親亡きあと -タブー視されがちな領域の支援
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みなさま、こんにちは。鹿野佐代子です。
私は障がい者福祉の現場で33年間働いていましたが、この9月で長く勤めた法人を退職しました。今は次のステップのために、全国の親の会から依頼があれば、さまざまな場所で講演活動を行っています。講演活動をしていると、主催の方から「プロフィールを教えて下さい」と言われるので、私の経歴をお伝えいたします。

プロフィール
33年務めた障害者福祉施設で、結婚支援をきっかけに『性』と『お金』に関する支援の大切さに気づき、性教育を学び、ファイナンシャル・プランナーの資格を取得。現場で起こる性に関係することや金銭トラブル、親亡きあとの対策について事例研究を行い論文発表や執筆を行う。現在は、楽しく学んで実践できる当事者向けの「お金のセミナー」や、先の不安を安心に変える「親が元気なうちにできる親亡きあとのための対策」について全国で講演活動中。

【執筆・論文など活動実績】
2009年 論文 第4回日本FP学会賞 日本FP協会奨励賞受賞 第1回「FP向上のための小論文コンクール」最優秀論文賞受賞
2012年 NPO法人ら・し・さ会員 ~親亡きあとの支援ハンドブック~企画・執筆
2014年「お金カレンダー」商標登録 実用新案取得(詳細はこちら>>
2016年「今日からはじめる!障がいのある子のお金トレーニング」翔泳社より共著で出版
2017年「療育」に関する本をもうすぐ出版予定

プロフィールを見るとすごい人のように感じていただける方もいらっしゃると思うのですが、自分で言うのもなんですが、全然すごい人ではないのです。この活動の源はすべて現場で起こったことに向き合った結果のことで、学ぶ機会はすべてご本人の方々から与えてもらいました。

短大を出たばかりの私は、金剛山の麓にある大規模施設の職員として採用になりました。日々の支援といえば食事や入浴介助などのルーチンワークと、「今日はどこに散歩に行こうか」「何のおやつを作ろうか」など日々どのようにして楽しく安全に過ごせるかを考えることが仕事のウエイトの大部分を占めていました。利用者同士のトラブルといったら、「洗濯機の順番を〇〇さんが割り込んで使っている」という苦情や、「〇〇さんが勝手に私のコーヒーを飲んでいる」というけんかの仲裁に入るなどの他愛ないことでした。

その私が、入所施設から「通勤寮」という地域生活支援の場に異動になったのですが、その異動で人生が一変したのです!なぜなら、私のキャパシティ―を超えた想定外の問題が毎日のように起こり、私自身支援に行き詰まるという経験をしたからです。山の中で自然に囲まれ、安心した暮らしの場から、いきなり地域という都会へ、なんの防御策も知識もなく放り出されてしまったという感じです。

現在は制度としてはなくなってしまいましたが、通勤寮は知的障がいのある人が働きながら自立の練習を行う施設で、おおむね2年かけて自立に必要なスキルを身に着ける施設でした。男女20人が同じ施設で暮らし、2年後はグループホームで生活する人や独り暮らしをする人、結婚する人や自宅に帰る人などさまざまな暮らし方に分かれていきました。

通勤寮を利用することは、自立のためのトレーニングの場なので、とにかく自分のことは自分で判断するよう努力をしなければなりません。でも、それはみなさんにとって楽しいことでもあり、寮で生活している人は交友関係を深めたり、時には気になる異性にラブレターを出したり、お付き合いしたり、今まで経験したことのない世界が広がりました。お金も持ったら持っただけ使う人もいましたが、その結果、小遣いが足りずに外出先で困ったという経験もあり、生きた経験の場でもありました。

寮で生活している人たちは親元から離れて楽しくしている人も多いですが、楽しいことだけではありません。楽しさの裏には「失敗」というリスクも含んでいました。

それでは、さっそく知的障がいのある人へ「性教育」と「金銭教育」を行ったきっかけになったことからお話したいと思います。

ある日、通勤寮で生活している20代の女性が会社の上司に「妊娠している」と相談したことで大騒ぎになり、支援者の私が知ることになりました。彼女は通勤寮を利用している男性と交際しており、すでに妊娠5カ月だったのです。彼女は「誰にも相談しにくかった・・」という理由で打ち明けず、担当であった私にも黙ったまま不安な日々を過ごしていたのです。

〇彼女が支援者に相談できなかった理由
いろんな不安がつぎつぎ起こり、悩みを抱えながら二人は5カ月間も過ごしていました。二人の不安は次のとおりでした。

・家族や支援者に出産を反対されるのではないかという不安
・通勤寮を退所させられるかもしれないという不安
・給料が少ないのでこれから生活をやっていけるのかという不安

いろんな不安を抱きながらも、彼女はなぜ支援者に相談できなかったのでしょうか・・ それは、「怒られるかも」「反対されるかも」「忙しくて聞いてもらえないかも」と思って相談できなかったと後になって彼女は言ってくれました。

妊娠したカップルの結婚支援がきっかけとなり、結婚ラッシュが始まりました。 彼女に続く妊娠が続くことだけは避けたいと思い、「性教育」に向き合うことになりました。しかし、出産を5か月後に控えている二人の援助が、子育て経験のない私にできるはずもありません。そこで、経済的な視点に立ってサポートできるように、お金の勉強を始めたことが、私の性とお金の取り組みの第一歩でした。

〇支援者である私の反省と気付き
私は地域生活支援の現場に配属になり、入所施設とは違った支援をする中で、職員の中でも「選ばれた人材」と勘違いしていたのです。妊娠しても誰にも相談できなかった彼女の話を聞いたとき、忙しく動き回っていることが仕事と思い、本人に向き合いじっくり話を聞いてあげる姿勢が自分に足りなかったことを反省しました。そして、「何の知識や資格も持たずに性やお金の相談に乗ってはいけない」と考えを改め、ファイナンシャル・プランナー(FP)の資格を取得しました。FPで身につけた知識はこの先に起こる不安に先手を打てるため、生活支援をする上で大変役立ちました。今更ながらですが、何の資格も持たずに生活支援をしていたころの自分には、反省の言葉しか浮かばないです。

通勤寮では、これからの自立のことや仕事の悩み、お金に関する相談を受けた以外にも、キャッチセールスに引っかかって契約してしまった人や架空請求などのトラブルに遭った人、携帯電話の通話料が何万円にもなる人、自分の貯金をすべて使いきった人などさまざまな問題がおこりました。

ファイナンシャル・プランニングがどのように役立ったのか、障がいのある人のお金の使い方や傾向、そして、子どもが自立した後に向かえる親亡きあとのことについて、次号以降でお話できればと思います。

鹿野佐代子
(福祉系ファイナンシャル・プランナー)
(プロフィール等詳細はこちら>>

 

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──■ 連載:成人ディスレクシアの独り言
第9回 隠して生きていくということ
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読み書きができないことをごまかして働き、ばれたら逃げるを繰り返していた10代なかば。最終的に落ち着いたのは、現場仕事でした。時はバブル。数えきれない程の工事が、町中で行われていました。経験や技術がなくても、「いるだけでいい」と、仕事には事欠きませんでした。

もともと、器用で体力にも自信がありましたから、現場で体を動かしながらものを作っていくのは、楽しかったです。めきめき技術もつきました。向いていたんだと思います。

みなさんは、「現場の仕事」というと、きっと、「読み書きは出来なくても大丈夫な場所」と思われるかもしれません。自分もそう思っていました。でも、違いました。現場にも「読み・書き」は、ついてきました。

現場の仕事は、チームの作業です。毎朝の朝礼で、細かな指示が出ます。そこで求められるのは、メモをとることです。口頭で伝えられる指示を、とにかく間違えないようにメモしていく。みんながすらすらメモしていく横で、自分も、とりあえず書いている「フリ」はしていました。でも、フリをしているだけです。「聞きながら書く」なんて神業、とてもできませんから、手元を隠してぐちゃぐちゃの線を書きながら、必死で耳をすませて、言われたことを覚えようと、神経を尖らせていました。

大きな現場になれば、それ以外にも、打ち合わせの会議が、頻繁にあります。そこでは、たくさんの書類が配られます。もちろんこれも、読めません。幸いだったのは、現場という性質上、書類には図がたくさんありました。「たぶんこのこと」「たぶんあのこと」経験と勘を働かせながら、読める「フリ」をして、わかった顔をして、しのぎました。もちろん、大事なことを聞き落とせば、大問題になります。わかっているふうに振る舞いながら、常に周囲に目を配り、自分が何かヘマをしていないかに神経を使わなくては、なりません。

その日の記録である日報はもちろん、提出する書類も、たくさんあります。誰も「書けない」なんて言いません。もちろん自分も言いませんでした。持ち帰れるものは、持ち帰りました。と言っても、一人暮らしですから、代わりに書いてくれる家族はいません。友人・知人はたくさんいましたが、そもそも「知られたくない」わけですから、頼めるはずもありません。

そんな時、自分は出前を頼みました。きっねうどんを頼んで、持ってきてくれたおじちゃんに、「今、右手をケガしとって、書けないんよ。悪いけど、ここに○○って書いてくれへん?」と頼みました。気のいい大阪のおじちゃんは、「ええで、兄ちゃん大変やな」と、さらさらと書いてくれました。大阪の町中です。出前を頼む先なんて、いくらでもあります。「またか?」と不信がられないよう、慎重に考えて、電話をかけました。見知らぬ道行く人に、お願いしたこともあります。

でも、持ち帰れないものもあります。その場ですぐに書いて出さないといけないものが、突然出てくることもあります。そんな時のために、当時の自分はポケットに、常にカットバンと包帯を入れていました。「あっこれは今書かないといけない」という時には、ものかげでさっとカットバンを指に巻きます。それを見せながら、「昨日、ざっくりやって、ペンが持てんのんよ。悪いけど書いてくれへん?」と頼むと、断られることは、ありませんでした。これも、同じ人に何度も使える方法ではありませんが、バブルのころの大阪は、工事ラッシュで、ほとんどの人が、次の現場で会うことのない、名前も知らない人達ですから、取りあえず何とかなりました。

でも、だからといって平気なわけでは、もちろんありません。善意の人に対して嘘をついている自分に、後ろめたさがありました。そして何より、そんな嘘をつかなくてはいけない自分が情けなくて、惨めでした。

現場には、自分と同じように、高校をとび出したという人は、たくさんいましたが、自分ほど書けない人は、いませんでした。今思えば、もしかしたら必死で隠していた人はいたのかもしれません。でも、当時は「こんなこともできないのは自分1人だけ。だから、絶対にばれてはいけない」と肝に銘じていました。

仕事自体では、高い評価を受けていたと思います。10代の終わりには、名指しで難しい現場を任されることもありました。働けば働くほど、収入が保証された時代です。がむしゃらに働いて、同年代の何倍もの収入を得ることもできました。でも、良い車に乗り、高いオーディオを揃えていても、仕事の速さと正確さを認められていても、圧倒的に劣っている自分を、いつもどこかで感じて、隠しながらの日々は苦しかったです。「ありのままの自分」のであってはいけないという葛藤のなかで、もがく日々が続きました。

井上智、井上賞子
ブログ「成人ディスレクシア toraの独り言」
(ブログはこちら>>

 

──■ あとがき
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今月から鹿野さんの連載が始まりました。ご自身で、自己紹介をしていただけるとのことでしたので、編者からの紹介は割愛させていただきました。現場の経験から得た貴重なノウハウを、読者の皆さんに知っていただきたいと思います。

障害者自立支援機器 ニーズ・シーズマッチング交流会という催しが12月に大阪で、1月に福岡で、2月に東京で行われます。編者も認知機能アセスメントツールを会場で紹介させていただきます。ご関心をお持ちの方はぜひ会場にお越しください。
(詳細はこちら>>

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