イイトコサガシ:可能性の種まき

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2016.04.08

イイトコサガシ:可能性の種まき

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■ 連載:「吃音」ってどんなものですか?<その2>
■ 連載: イイトコサガシ: 可能性の種まき
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──■ 連載:「吃音」のこと、もっと知ってください! そして、もっと一緒に話してください!
(第2回)「吃音」ってどんなものですか?<その2>
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「吃音」についての第2回は、Q&Aの続き、「吃音の波」「吃音の原因」「出現率」「発吃」「男の人の方がなりやすい?」「現れやすい場面と現れにくい場面」「吃音は治るのですか?」についてをお伝えしていきます。

Q4.吃音の「波」とは何ですか?

前回お伝えした最大の特徴の「吃音の予期不安」の他に、もう一つの大きな特徴が「波」です。これは吃音の良い状態と悪い状態が、交互に繰り返される現象をいいます。「繰り返す」といっても、定期的ではなく、これも一人ひとり異なります。例えば小学生では、「春にクラス替えがあると吃音が出始めて、しばらくすると落ち着いて、夏休みはほとんど出なくて、秋の運動会の練習が始まると、また吃音が出始める」といった具合です。大人では、「昨年はあまりどもらなかったけれども、今年はまたどもるようになった」というような表現をします。そしてこれら「波」は特に、吃音が出始めて間もない幼児期に顕著ともいわれています。それも一人ひとり、強さや間隔が異なります。ですから吃音というものはなかなか厄介な訳なのです。

Q5.吃音の原因は何ですか?

どもる人には何か発語器官や脳に問題があるのではないか、何か気に病む性格など、どもる人独特の性格があるのではないかなど、いろいろな仮説が立てられて、これまで調査・研究がなされてきました。が、どれも決定打に欠け、結局は“よく分からない”というのが現状なのです。最近では、MRIなどを利用した脳科学的なアプローチや、遺伝学的アプローチでの研究も進められているようですね。

Q6.吃音の人の出現率はどのくらいですか?

成人の吃音の出現率は『約1%』といわれています。つまり国内には120万人がいると考えられます。また不思議なことに、世界中のどの地域でも、人口の1%といわれています。なお、幼児期の吃音の出現率は、約3%~5%程度とされ、幼児期に吃音が始まってもその後、自然治癒してしまう子どもがいます。

Q7.吃音は何歳頃に出てくることが多いですか?

吃音が初めて出始めることを「発吃(はつきつ)」と言いますが、多くの場合2歳以降に発吃します。発吃時期として最も多いのは、2~5歳と言われています(Andrews et al.,1983)。しかし、6~7歳の時に吃音が初めて出てくる人も1~2割くらいますし、小学校高学年や中学校、大人になってから吃音が出てくる人もいるということです。

Q8.男性の方が吃音になりやすいというのは、本当ですか?

学齢期以降では、男性が女性の3~5倍の人数がいるといわれています(ギター.2007)。しかし、幼児においては、吃音の出現率は男児の数が女児の1~2倍と開きが小さくなります(Yairi & Ambrose,1999;Mansson,2000;
Kloth et al.,1999他)

Q9.吃音の現れやすい場面と、現れにくい場面があるのですか?

一人ひとり現れ方が異なるので、一概にはいえません。例えば、リラックスした方がどもる人もいますし、学校での朗読や発表であまりどもらないのに、家ではどもる子もいます。ただし、比較的多くの人に共通することとして、後述のようなことが上げられます。また、ディストラクション効果(注意転換)といって、極端にゆっくり話す、手を振ってリズムをつけて話すなど、何かに注意を逸らせて話す方法で、吃音を現れにくくする方法がありますが、習慣化されるとその効果を失い、再発するとされています。しかし、適応効果といって、朗読の発表の練習で、同じ文を繰り返し読むと吃音の状態が軽くなることがあり、このような効果で現れにくくなることがあります。

<比較的現れやすい条件>
・幼稚園や学校での発表や朗読
・電話での応対
・研究発表や結婚式など改まった場で、大勢の前で話す時
・急いで、正確に連絡しなければならない時
・人間関係で苦手な人や上司、重要な得意先への連絡や報告

<比較的現れにくい条件>
・相手に親しみや安心感があり、優しく聞いてくれる時
・目下の人や赤ちゃんと話す時
・ペットなどに独り言を話す時
・歌や謡曲、詩吟をする時

Q10.吃音は治るのですか?

保護者や大人の方から、最初に聞かれる質問で一番多いのが、この質問です。
これまでお伝えしてきたように、吃音は、原因も明らかではないし、その状態も一人ひとり異なり、しかも波があり変化していくものですから、やはり吃音は「完全には治らない」と考えて良いのではないかと思います。

先述のチャールズ・ヴァン・ライパーは、「成人になっても吃っている人は、世界中のどんな方法を使ってもほとんど治ることがないと私は確信しています。」といっています。これまで多くの吃音をもつ方が、吃音矯正所やその他の方法で必死に「話しことば」を治そうと努力しても、徒労に終わることが多かったのです。

もちろん、「吃音を治したい」と思うことを否定するわけではありません。
私がかつて参加した東京言友会中高生の集いのサマーキャンプで、「吃音を治してアルバイトがしたい!」と言って涙ながらに話していた女子高生を、いつも思い出します。思春期~青年期は特に「治したい」という思いが強い時期でもあるわけです。

それでは、「吃音は治る」という表現を用いたり、「吃音が治った」という人がいたりするのはなぜなのでしょうか。これはおそらく、その人それぞれの「吃音が治る」捉え方に差異があるからではないかと考えています。それで、この「吃音が治る」ということは、どのようなことなのかを考えてみると次の様なことが考えられます。

・「どもりやすい話し方」を自分自身の「特徴」や「個性」のようなものと捉えられる。
・話しことばの状態としては、若干吃音があってもいいのではないかと考える。
・自分自身の吃音を「特徴」や「個性」として客観的にみつめることが出来るようになる。
・ストレスやプレッシャーに対抗する力をつけられるようにする。
・ストレスやプレッシャーがあっても発話を多少コントロールすることができるようにすること。

このような考えの他にも、「吃音が治る」ことをどう捉えるかはその人それぞれかもしれません。が、やはり吃音は「治す」のではなく、「つき合う」であったり、「向き合う」であったり、「どもってもいい」、「どもる自分が好き」と思えるようになることが大事ではないかと考えます。

そして、これらのことについて対等に話し合える相手をもつことが大切だと思います。家族をはじめ、ことばの教室の担当者、言友会、吃音キャンプ等、理解し合える人の中で吃音を理解し、吃音を客観的に見つめていくことを継続していくことにより、よりよく生きていくことが出来るのではないかと思います。

次回第3回は、発達の年齢に従って、『幼児期』『学童期』でどのような支援が必要か、また周囲がどのように接すれば良いのかをお伝えしたいと思います。

群馬県渋川市立古巻小学校通級指導教室
教諭 佐藤雅次(まさつぐ)
<臨床発達心理士・特別支援教育士>

 

──■ 連載:イイトコサガシから始まるコミュニケーション
第5回 可能性の種まき
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イイトコサガシ・ワークショップを1000回以上続けてみて、つくづくわかったことは、『わかりやすい成果が、すぐに出ることはほとんどありえない』ということです。しかし生き辛さが深ければ深いほど、余裕が少なければ少ないほど、即効性のある成果を望んでしまうのもまた事実。
上記のジレンマをどう考えるか?

そこで登場するのが可能性の種まき、という価値観なのです。
ちょっと、怖いことを言いますね。
わかりやすい成果を、一旦手放してみましょう。
3年後の自分に照準を合わせて、ドキドキワクワクしてみましょう。
なぜか?
私の現時点での結論で言うなら、自分の中にある可能性は、自分でも想像しきれないくらいの大きさがあるから、です。
今の自分に合わせて小さくまとめちゃうのは、もったいないのです。
発達障害等で生き辛さを抱えている皆さんに大きく提案したいのは、社会適応がゴールではないよ、ということ。重要なのは社会活用であり、社会適応は社会活用の中に含まれるんだよ、ということ。
自分で自分らしい人生を創っていくために、社会をどう活用していくか?
という視点を忘れないで下さい。

でもそんなきれいごとの理想論を言われても困ると思うので、それを可能性の種まきという価値観でこれから語っていきたいと思います。
イイトコサガシの考えている可能性の種まき、具体的な目標は『クリエイティブ(創造的)なコミュニケーション』 となります。
横文字を使えばよいってものじゃありませんよね(笑)
わかっています。更に具体化します。

1.ゼロをイチにするコミュニケーション

ということです。
既存の自分ではない、新しい自分を発掘していくコミュニケーション。
今まで使ったことのない引き出しを開けてみるコミュニケーション。
未熟でもよいから、中途半端でもよいから、言葉に上手くならなくてもよいから、矛盾してもよいから、とにかくゼロをイチにしてみる!
これが可能性の種まきです。
(わかりやすい成果がすぐに出ないわけです)

2.お互いの可能性を開けたり、開けてもらったりを意識的に行うコミュニケーション

他者の存在を使って相互成長を目指していくということです。
そのためにはある覚悟が必要となります。意図的ではないにせよ、傷ついたり、傷つけたりする覚悟。衝突、摩擦、すれ違い、バツが悪い、居心地が悪い、不愉快になってしまう覚悟です。
お互いがお互いの内面に踏み込む以上、それは回避できません。
例え成長を目指すコミュニケーションであったとしても、上記のような事故は起こりうるのです。

逆を言うなら、そういう避けられない不確定要素に慣れちゃいましょう、と。
日常の一コマとして、受け入れられる免疫力を付けてしまいましょう、と。
自分の可能性を模索するということは、自分や他者にある理不尽と接触していくことでもあるのです。
(格闘技をやる以上、痛い想いをするのはある程度覚悟するのと同じです)

この覚悟が自分のものになれば、文字通り色々な人に可能性の種まきを試せるようになりますよね?

3.よく知らない、よくわからないを楽しめるコミュニケーション

生き辛さを抱えている人たちに多いパターンとして、よく知らないから、よくわからないからという理由で話を切ってしまう、終わらせてしまうことが多いように私は感じています。しかし私が思うに、よく知らなくても、よくわからなくても、楽しいコミュニケーションは可能です。
知識ではない好奇心。
そして色々な可能性を想像していく力。
イイトコサガシでは、創造想像力と呼んでいます。
自分の中にある材料・道具をフル回転させて、よく知らない、よくわからないを楽しく料理してみようと試行錯誤することです。
仮に楽しくならなかったとしても、その経験は別の機会に活かせる可能性が出てきます。それが可能性の種まき、というわけです。

よく知らない、よくわからないが怖くなくなれば、初対面の人とのコミュニケーションも怖くなくなります。これって凄いことですよね?

上記三つをまとめてみます。
最終的に可能性の種まきの目標はなにか?
それは意識的に化学反応を起こすこと、です。
文字通り、自分が大化けするための学びを沢山味わって、反応に変えていくということです。そのためには積極的に、未知の領域へ飛び込む必要があります。化学反応を自ら、創るのです。化学反応を自ら、育てるのです。
化学反応を自ら、豊かにしていくのです。
化学反応を自ら、楽しんでいくのです。

最後にもう一度、繰り返します。
『わかりやすい成果が、すぐに出ることはほとんどありえない』
だからこそ、最低でも3年は可能性の種まきに取り組んでみてください。
種まきをしすぎて、どんな種をまいたか忘れちゃったよ!という頃に、得てして成果(収穫)は現れると「私は」思っています。
そして、可能性の種まきをずっと続けて下さい。
可能性の種まきと成長はセットなのです。

冠地情(かんちじょう:本名)イイトコサガシ代表

 

──■ あとがき
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前号のまえがきで、佐藤先生のプロフィールに関連して、「勤務先の『特別支援級』での活動に加え、・・・」と書きましたが、『通級指導教室』が正しいです。謹んで訂正させていただきます。

次回のメルマガは、4月22日(金)です。

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