児童福祉のビジョナリー、留岡幸助をご存じですか

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2022.07.29

児童福祉のビジョナリー、留岡幸助をご存じですか

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■   まえがき
■□  特別寄稿:児童福祉のビジョナリー、留岡幸助をご存じですか
■□■連載:作業療法士に何を相談できるのか
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■□ まえがき ■□--------------------------
少年法が本年4月に改正されました。その是非を考える一環で、富田拓先生に日本における児童福祉の先人の取り組みについてご寄稿いただきました。

富田先生の前回の連載と合わせてお読みいただければ幸いです。

※非行と発達障害 2019年11月から連載 


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 ■ 特別寄稿:児童福祉のビジョナリー、留岡幸助をご存じですか
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日本の児童福祉の基礎を作った一人、留岡幸助という人をご存じですか。1864年、江戸時代生まれの彼は今風にいえばまさにビジョナリー※というべき人で、不良少年を救うために、気宇壮大な構想を(今で言えば)児童福祉の世界に持ちこんだ人でした。

※ビジョナリー 先見の明がある。

1000町歩(=1000ヘクタール)の北海道の広大な原野を国からもらい受け、そこに子どものための施設を作り、広大な土地には小作農を入れ、その小作料で施設を運営しようとしました。コロニー構想です。しかも、その施設のあり方がユニークでした。留岡は1901年、明治34年にこう書いています。「少年子弟が悪化する原因素より一にして足らずと雖(いえども)、其の十中八九までは、家庭悪しきか、然らざれば全然家庭を有せざるに在るや明らかなる事実なり。彼等をして斯の如くならしめたるの原因果して此の点にありとせば、彼等を善良なる市民に改善せんと欲するも、亦(また)家庭的空気の中に於て教育するの大切なるは言を俟(ま)たず」これを実現するために、留岡は「夫婦小舎制」の施設、北海道家庭学校を1914年、大正3年に創りました。実際の夫婦が十人前後までの不良少年と一つ屋根の下に住みながら、子どもを教育していこうという仕組みです。つまり、極めて意識的に、逆境的な環境に育った子どものための治療構造としたのです。これほど明確なコンセプトを持って、そのコンセプトに忠実に作り上げられた施設を私は他に知りま
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この施設は、今もサロマ湖の近くの遠軽町というところに児童自立支援施設として存続しています。戦後、小作だった人に土地を分けたのですが、今も450万平米という広大な敷地を誇ります。そして今も、夫婦小舎制を維持しているのです。

筆者は、20年ほど前にこの北海道家庭学校で妻とともに掬泉寮という寮の寮長を務め、その後一旦家庭学校から離れ、3年前に出戻りして、施設内に樹下庵診療所という児童精神科専門のクリニックを開かせてもらいました。

樹下庵とは、留岡の家庭学校での居所の名を頂きました。家庭学校を離れた18年間で、家庭学校の自然はほぼ変わっていません。変わったと言えば、あまりうれしくはありませんがクマがより身近になったことくらいでしょうか。子どもを救いたいという、職員の熱意も変わっていません。これについては、分校と言う強力な援軍ができました。大きな変化です。

しかし、何と言っても一番変わったのは、子どもたちです。私が掬泉寮を担当していたころの粗暴だけれどエネルギッシュな非行少年たちが、本当にいなくなった。ゼロではないにしても、圧倒的な少数派になりました。今の家庭学校の職員は、むしろそういう子を特別な子と受け止めているようにさえ思えることがあります。

今の家庭学校の子どもの主流は、発達や親子関係などの問題を抱えて、家庭や地域での養育が困難になった子たちなのです。もちろんこの子どもの変化は、家庭学校だけで起こっているわけではありません。なにしろ、2000年に15万人以上いた、警察にお世話になる非行少年(刑法犯検挙人員)が、2018年には3万人余りとなっているのですから。

ではなぜ、これほどまでに非行少年が減少したのか。諸説あると思いますが、非行少年の発生要因から考えて私が思いつくことは主に二つです。

一つには、児童虐待への対応。虐待の数自体が実質的に増加あるいは減少したかどうかは別として、近年の日本社会全体の虐待への対応の結果として、大人の子どもに対する暴力による支配(言葉による暴力を含む)が減ったことは明らかです。体罰はもちろん、感情的な激しい叱責や、悪しき体育会的なシゴキは激減しました。もちろん時に起こる例外はあるものの、社会全体として、大人が子どもにやさしくなった。犯罪学者のテリー・モフィットは、非行のおよそ9割が思春期の反抗の暴発として起こる、としています。大人が子どもにやさしくなったことで、子どもが反抗する理由が減り、結果その暴発としての非行も減少する。やさしく育てられた子は、やさしい子になるのです。

もう一つが、特別支援教育の充実です。明治期の日本の精神医学者は既に、非行少年の中に生来的に対人関係の問題や極端な落ち着きのなさを示す子がいることと、その治療の重要性を強調しています。今でいう発達障害を持つ子たちです。前述のモフィットは、非行少年の約1割がこのような障害の影響を受けているとしています。しかも、この子たちの非行は重症で、治りにくいのです。結果的に、施設入所するような非行少年では、その割合が非行少年全体よりも高くなります。

注意欠如多動症、自閉スペクトラム症、知的障害等を持つ子たちに対する特別支援教育は、昔とは比較にならないほど手厚くなっています。以前であれば通常の教育から落ちこぼれ、その結果非行に走っていた子たちの多くが、現在の特別支援教育によって救われているはずです。

もちろん、非行少年の激減の背景にさまざまに要因が重なっていることはまちがいありませんが、この二つの社会的な変化の影響は大きいと私は考えます。しかしそれでも、社会がすくいあげることができずに、苦しんでいる子たちがいる。非行と言う形ではなくても、何らかの問題を抱えている子たちがいる。また、最近のいくつかの悲惨な事件の加害者も、劣悪な生育環境のもとで育った人たちでした。

もちろん、だからと言って人の命を奪うといった行為が許されるはずもありません。しかしもし、今の日本に留岡がいたら、そういう人を救おうとするのではないでしょうか。実際、留岡が家庭学校構想に至ったのは、監獄での教誨師(きょうかいし)※としての働きの中で、多くの罪人の少年時代がいかに悲惨なものであったかに気づいたからでした。

※教誨師 刑務所で受刑者に対して説教することを任とする特殊な宗教家。コトバンクから抜粋。

既に、現在の家庭学校は非行少年のためだけの施設ではなくなりました。様々な生きづらさを抱えた子を育てていく施設となっています。ただ、留岡が北海道家庭学校を創った時代に比べて、現在では様々な社会的養護の施設があります。児童精神科の病院もあります。その中で家庭学校が持つ独自の意義とは何でしょうか。

一つはやはり「夫婦制」であると思います。実際の夫婦が、通勤するのではなく、そこに子どもたちと住むことによる、本来の意味での生活の存在。「生活療法」を謳う施設は多いものですが、実際に職員が子どもと一つ屋根の下に暮らしている施設はごくわずかです。実際の夫婦や親子が目の前にいることによって入所した子どもたちが学ぶことは少なくないはずです。普通の家族のあり方を知らない被虐待児であればなおさらです。

また、これと重なりますが、「生活すること」自体の重視です。留岡は、三能主義、つまり「能(よ)く働き、能く食べ、能く眠る」という健康な生活を重視しました。これは、ペスタロッチの「生活が陶冶(とうや)する」と言う言葉にもつながります。家庭学校には精神科医と心理士がいますが、精神科的治療や心理療法はあくまで子どもが「能く生活する」ためのサポートであり、心の治療そのものが中心的な目的ではありません。心そのものを扱おうとするよりも、良い生活を送ること、また作業や係の仕事などの役割を果たすことを通じて全人的な成長を図る点が家庭学校の特色です。ある医師から、児童自立支援施設は子どもに掃除をさせている、児童精神科病棟ではありえないことだ、と言われたことがありました。やはり、病院とは発想そのものが違うのです。

また、同年代の子どもが10名前後までの小集団で一定期間を過ごす「小舎制」の力があります。集団処遇よりも個別処遇のほうがより手厚い良い処遇と思われがちですが、実際には、対人関係に問題を抱える発達障害を持つ子や被虐待児の成長には、少なすぎず、多すぎない適正な集団規模があると思います。経験上は4人から10人前後までです。

小さすぎる集団では、対人関係が豊かなものになりにくく、大きすぎる集団では、対人関係がわかりにくくなったり、かえってその中で孤立する子が生まれたりします。わかりやすく、かつ豊かな対人関係が生まれやすい集団規模があるのです。例えば、自閉スペクトラム症のためのソーシャルスキルトレーニングプログラムであるUCLA PEERSでも、トレーニングの集団は8人から10人で構成するとされています。夫婦小舎制には、里親とはまた異なるメリットがあると考えます。

さらには、これらを包む北海道の自然の存在があります。留岡は「天然の感化力」と呼び、重視しました。ただ、子どもたちたち自身に「何が君たちを変えたか?」と尋ねても「自然が自分を変えた」と答える子はほとんどいないでしょう。実証は困難ですが、家庭学校の広大な敷地に足を踏み入れた時、誰もが「子どもの教育に最適の場所だ」と感じることと思います。家庭学校が今も重視する作業が、作業のための作業ではなく、本当に必要なこととして子どもたちに感じられるのも、この自然があればこそです。

これらはいずれも、仮説にすぎません。ただし、かつて家庭学校では1972年から2011年までの39年間にわたり、職員が卒業生を直接訪ねるという極めて稀な形での予後調査が行われていました。このような形で行われた調査ですから、その期間の入所児童数(1,354名)を分母とする追跡調査の捕捉率は45.4%(615名)であり、充分に高いとは言えません。しかし、その限りでいえば、退所後2年の時点で少年院に入院することなく社会内で生活できていた子の割合は91.9%(615名中565名)でした。この数字には、様々な評価があろうかと思いますが、非行少年を扱う施設の予後としては極めて良好な数字だと言えるでしょう(詳しくは家庭学校百年史(編纂中)をご覧ください)。

しかし、より興味深いのは、再非行率に影響を及ぼしそうな様々な要因、つまり虐待の有無や、精神医学的診断の有無、非行が初発する年齢、家庭学校入校以前の施設入所の有無などの要因を検討した結果として、これらの要因がいずれも予後の良否に影響を与えない、と言うことが明らかになった点です。予後に統計学的に有意の差を与えた要因は、寮長による予後予測と、親の犯罪歴の有無、この二つだけだったのです。

寮長がこの子は大丈夫だ、と考えた子は予後が良い。親に犯罪歴がある子は、そうでない子に比べ予後が悪い。そういうことです。親の犯罪歴の影響は犯罪学的に繰り返し証明されていることであり、その影響は家庭学校の教育をもってしても、残念ながら払しょくできなかった。しかし、その他の要因、つまり予後に悪い影響を与えることが知られている上述の要因はすべて予後に影響を与えていません。これは、家庭学校の教育が、発達障害や被虐待と言った要因の子どもへの悪影響を抑えることができている、ということを示しています。

私自身、これらの要因を抱えた子たちが、家庭学校の中で大きく成長するのを見てきました。最近の例でいえば、人の目を全く気にすることができなかった典型的な自閉スペクトラム症の子が、1年ほどで他者視点を獲得していくのを目の当たりにしました。このような例を挙げると、「それは変化が早すぎる、むしろ被虐待の影響によるものだったのではないか」と言われることがありますが、現在の彼を見ても精神科医なら誰もが自閉スペクトラム症の診断をつけるであろう特性を持った子です。家庭学校におけるこのような子どもの大きな変化が、予後調査によって裏付けられたと考えています。

児童精神科専門のクリニックとして家庭学校に樹下庵診療所が開かれて3年が過ぎました。オホーツク圏の広い範囲から親子が訪れていますが、クリニックに来る子たちは、多くの場合、施設入所している子に比べてずっと早く状態が改善します。親御さんが診療所に連れてくるということは、やはり、生育環境がそれだけ恵まれていると言うことであり、それが効いているのは間違いありません。

しかし、それでもなかなか良くなってくれない子もいます。難しい環境や特性を抱えた子たちです。そのような時、家庭学校への入所が頭に浮かびます。もちろん、現在のところ児童相談所による措置がなければ入所はできないのですが、すでに複数例、樹下庵診療所の受診を一つの縁として家庭学校に入所し、クリニックでの診療だけでは望めなかったであろう成長を遂げている子たちがいます。

もちろん、家庭学校と言う一つの施設ができることには限界があります。留岡は、北海道家庭学校をつくるとき、単に一つの施設だけを作ろうとしたわけではありませんでした。小作農を含めて、地域社会全体を作ろうとした。新しい文化をそこで創ろうとしました。
おそらく、留岡は、家庭学校が、また全国の児童福祉施設が、生きづらい子どもたちをより広く受け入れていくこと、より地域に開かれた存在であることを望むだろうと思います。樹下庵診療所も、その一助となることを願って開かれました。

愛情に満ちた適切な生育環境の提供と、発達特性に応じた医療的・心理的働きかけが必要な子が今の日本にも少なからずいます。

近年の事件で言えば、インターネットという巨大な環境が、犯罪に影響を与えないはずはありません。しかしそれでも、ベースとなる生育環境と特性に応じた働きかけがあることで、インターネットの誤った使い方を極力減らすことはできるはずです。

またもちろん、差し伸べた手からもさらにこぼれ落ちる子もいます。残念ながら、児童自立支援施設も、少年院もすべての子を救うことができるわけではありません。

その一方、刑務所に至って初めて、それまでの自分の犯罪行為がADHD特性に強く影響されていたことに気づき、薬の力も借りながら自分を変えていこうと努力する人もいます。人間ほどの高度な存在であれば、生物学的な臨界期はない、つまり何歳になったらもう変われないということはないのだと、近年刑務所で勤務するようになって気付かされました。

留岡幸助は、「一人を亡ぼすこと、これより大きな社会の損失はない。一人を生かすこと、これより大きな国益はない」と述べています。こう信じることは簡単ではないと思うのですが、せめて、そうであってくれればと願う人が一人でも増えること。それが、お互いに生きやすい社会へとつながるのではないかと思います。

*本原稿は、北海道家庭学校の広報誌「ひとむれ」1000号記念号に掲載した文章を一部加筆修正したものです。
 
◆富田 拓(とみた ひろし)
精神科医、医学博士。
1961年長崎県佐世保市生まれ。専門は非行・犯罪と精神医学。
現在、網走刑務所医務課、北海道家庭学校樹下庵診療所勤務。
近著に「非行と反抗がおさえられない子どもたち(合同出版)」
「家庭であり学校であること(共著、生活書院)」。

 
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■ 連載:放課後等デイサービスで、作業療法士が求められること(最終回)
             第2回:作業療法士に何を相談できるのか
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前回は、作業療法士の仕事についてをご紹介いたしました。
第2回目の今回は、作業療法士が子供達に提供できる支援の可能性についてご紹介いたします。

まずは、児童発達支援や放課後等デイサービスに通っている児童の「必要な作業」とは何でしょうか。
皆さんの事業所では、ご本人や保護者さまからどのような相談を受けているでしょうか。
当事業所では、

・運動がぎこちない
・歩けない
・手先が不器用
・食事やトイレなど身の回りの動作が自立しない
・お友達との喧嘩が絶えない
・授業中に集中できない、立って歩いてしまう
・先生のお話が聞けない、聞き逃すことが多い
・落ち着きがない
・言葉が少ない、話さない
・コミュニケーションが取れない
・お友達が作れない

などなど、たくさんの相談を受けています。

そんなお子さまたちが児童デイサービスでどのように過ごしているでしょうか。
当事業所では、到着すると子供たちはカバンを下ろして、靴下を脱いで身支度をします。手を洗って拭いて、連絡ノートを出すなど身支度をします。喉が渇いたらお茶を飲んで休憩をします。数時間の中でも身辺動作などの日常生活動作を行います。
お友達と活動を共にする時には、一つの遊具をお友達と一緒に使用したりもします。集団活動を通してお友達とのコミュニケーションを行います。また、ルールを共有するなどソーシャルスキルの練習も行います。

作業療法士は、お子さま達が活動に参加している際に、表情・言動にももちろん着目しますが、体の動きや姿勢などに着目しています。
専門的な視点で評価を行い、個別での活動や集団活動を通して、お子さまの支援を行います。

当事業所には、運動の苦手さや鉛筆やコンパスなど道具の使用が苦手という困り感や、食具がうまく使えない、トイレやお風呂に手伝いが必要など日常生活動作に対する困り感を抱いている保護者さまもいらっしゃいます。

その要因としては、
(1) 原始反射の残存や両手の協調性がうまく発達していないなど、両手がうまく使えていないこと
(2) 感覚機能に偏りがあるなど、感覚の未発達
(3) 筋肉や関節の動きを感じる感覚がうまくはたらいていないなどの要因で、力のコントロールが苦手
(4) 動きや形を捉える力が弱く、ものを見る力が弱い
(5) 身体イメージが捉えにくく、自分の体を自由に動かしにくい

などが考えられます。

※参考文献 『苦手が「できる」にかわる! 発達が気になる子への生活動作の教え方』 鴨下賢一著 中央法規出版 

また、友達とのトラブルが多い、コミュニケーションが苦手、集団行動が苦手など、行動面や対人関係に関する困り感をもつ保護者さまもいらっしゃいます。

その要因としては、
(1) 自分の順番まで待てない、好きなことしかやらないなど、自分をコントロールする力が弱い
(2) 友達の輪に入れない、黙ってしまうなど、自尊心が育っていない
(3) 感覚の偏りがあり、強く叩かれたように感じてしまう、教室がうるさい気がする、特定の授業に参加できない
(4) 一方的に自分の話をしてしまったり、相手のお話を誤解して受け取るなど、相手の気持ちを読み取りにくい

などが考えられます。

※参考文献 『学校が楽しくなる! 発達が気になる子へのソーシャルスキルの教え方』 鴨下賢一著 中央法規出版 

このように、お子さまの活動の様子を見ながらその要因について分析するために、発達の基本的概念を把握し、粗大運動や手先の巧緻的な運動などの運動機能、感覚の偏りなど感覚運動機能、情緒など心理面・社会的な機能、知覚・認知・思考などの機能、基本的な生活機能の発達の段階(過程)について把握しています。

これらの捉え方から、原始反射や協調的な運動、麻痺の有無・影響など身体面の確認や感覚の偏りの確認、目の動きや物の見え方捉え方など視知覚の確認など、専門的な視点での評価を行います。

これまでお話しさせていただいたように、大人と違い子供たちの作業は、「遊び」や「学習」の領域が中心となります。
児童発達支援や放課後等デイサービスの中で作業療法士は、
遊びの活動を通して、トランボリンやブランコ、トンネルなどの感覚運動の遊び、パズルや積み木、ブロックなどの構成遊び、鬼ごっこやだるまさんが転んだなど、お友達と一緒に活動しながら社会性を支援します。
また机上での活動を通して、姿勢を保ったり道具を使用したりと、学習や学校生活につながる支援を行います。

そして、食事やトイレ、着替えなどの生活動作を安定して行えるように、身体をうまく使う力や、自分の気持ちや思いを伝える力、成功体験を通して自己肯定感を高めながら、社会で人と関わりながら生活する力を支援します。

作業療法士は、遊び、学習、日常生活動作、調理や洗濯などの日常生活関連動作、就労など、リハビリテーションの職種の中でも様々な視点からたくさんの内容に関わることのできる職種です。

となりの専門士※でも、たくさんの経験を持った作業療法士が対応いたします。
お子さま達の「育ち」のために、お悩み事を相談してみませんか。

※となりの専門士 


◆荻野圭司
作業療法士
多機能型事業所ひまわり コパンの杜 管理者兼児童発達支援管理責任者
医療法人ひまわり会札樽病院リハビリテーション療法部 作業療法課課長

■□ あとがき ■□--------------------------
次回は、お盆明けの8月19日(金)とさせていただきます。

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