成功している日本とアジアのディスレクシアの人たち

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2020.03.13

成功している日本とアジアのディスレクシアの人たち

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■  連載:成功している日本とアジアのディスレクシアの人たち
■□ 連載:「気になる」子どもたちと私の関わり~高校-大学編
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 ■ 連載:ディスレクシアとは?
      第8回 成功している日本とアジアのディスレクシアの人たち(最終回)
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読み書きが困難だというと、周りにいる人達は「将来がないのでは?」「大学はあきらめなくては」と絶望的に考えることが多いようだ。それは一昔前の価値観で、今は科学技術が進んでAIが普及し、さらに法整備も進んだおかげで、読み書きが困難であっても本来の力を発揮できる道筋は広がってきている。

ただ、今成人している人たちは合理的な配慮やワープロを使うことを許されずに来た人が大多数なので、子どもたちにとってのロールモデルがほとんどない。比較的に新しい概念なので、大人になって成功していても自分がそうだからということに気づいていない人が多い。また気づいたとして今更カミングアウトしても何の役に立たないと思って、黙っている人も多い。

NPO法人エッジではDX会と言って、大人のディスレクシアの人たちが集う会を2か月に一回開催している。参加者たちが『ディスレクシアでも活躍できる』(ぶどう社)としてまとめた本があり、その中で共通してみられる特徴がわかってきた。成功しているというのは何も大金持ちになっていたり、大企業に勤めていたりということではなく、本人なりに幸せを感じつつ社会の一員として活き活きと参加している状況を指している。その秘訣は1)読み書き以外の分野で勝負、2)自分の強みも弱みも含めてを知っている、3)自分でできることはやった上でヘルプサインをうまく出せる、4)自分を認めてくれた誰かが一人いる、そして5)幼い時からの好きを保っていることである。

『ディスレクシアでも活躍できる-読み書きが困難な人の働き方ガイド』
 
この本の中では、専門学校から外資系のゲーム会社に勤め、事業縮小に伴い今は福祉系の仕事で得意の粘土や陶器の指導者をしている青年とか、ものづくりが大好きで留学し建築デザイナーとなり海外の大学で教鞭をとっている青年とか、大学を二つ卒業し(一つは通信)、塾の講師などを務めたのち縁あってエッジの事務局長をしているSさんなどの話がフィーチャーされている。

エッジに相談に来られた方たちの中から、自分の道を見つけて進み始めた若者たちも出てきている。一昔前と違って国家試験などでも「合理的な配慮」がなされるようになってきた。卑近な例では「公認心理士」の国家試験で別室受験と時間延長が認められ、見事に合格し、公認心理士として仕事を始めた人もいる。建築、美術、俳優、スポーツなどでは特に優れた能力を発揮している人がいるが、その他の分野でも活躍しやすい環境が少しずつだが広がってきている。 さらに日本国内でも彼らのニーズにこたえるような学校などが増えてきている。 このほかにも 昆虫学者や生物研究者、ドローン技術を使った活動など多岐にわたる分野で活躍がみられるようになっている。例えば、以下のようなものがある。

・漁業:全寮制の高等学校に入り漁師になる勉強ができる。富士河口湖の専門学校 

・美容:センスや実技は大丈夫なのだが、昔は試験で通らなかったのが合理的な配慮を受けることができるようになった。国家試験の受験に伴う配慮事項申請書
 
・刀鍛冶:後継者不足の中、大切にされている。高校から刃物への敬意をこめて研鑽を積み、全日本刀匠会や京都伝統工芸大学などで学ぶことができる。全日本刀匠会 
 
欧米では早くから、ディスレクシアでありながら活躍している人たちが盛んにカミングアウトしてくれているので広く知られている。バージングループの創業者リチャード・ブランソン、キアヌ・リーブス、トム・クルーズなどは素敵なロールモデルだろう。

NPOエッジでは、ASEANを中心に活き活きと活躍しているディスレクシアの人達を招くイベントを2016年から5年間開催している。2020年は6月6日・7日、アジア太平洋ディスレクシアフォーラム(APDF2020)と銘打って岡山で開催する予定である。

アジアの中では英国を宗主国としていた香港やシンガポールがディスレクシアの対応が進んでいる。公用語が英語なので、英国で培われた対応のノウハウがそのまま使えるからだろう。片やインクルーシブな教育という側面からはマレーシアやインドネシア、ブルネイなどのイスラム圏での対応が面白い。漢字圏での対応についての研究も進んできている。

代表的な人を上げる。

・Brendan Lee Jun Loong(シンガポール)は、合理的な配慮を受けて学業やビジネスで優秀賞を何度も受け、人材育成にも貢献している若者。
※ Deborah Hewes の著書 "Embrace a Different Kind of Mind: Personal Stories of Dyslexia"で紹介。

・Yff Dick ディック・ヨングは企業家。現在はディスレクシアの啓発のため世界一周のバイクの旅を続けている。

・Vince Low(マレーシア)はディスレクシア協会から頼まれた絵画を担当しているうちに自分がディスレクシアであると気づいた。
 
柳家花緑さん 臨場感あふれる人物描写と滑舌さわやかな話し方で有名ですが、ご自身がディスレクシアであることを公表して広く話してくださっている。柳谷花緑ディスレクシアを語る 

他にもシンガポールの教師になってミャンマーの教育に携わっている女性や、オーストラリアの医師の学校に入学した女性など読み書きが困難であればあきらめそうな職業や進路に進んでいる人たちがいる。彼らは岡山に6月6日と7日に開催されるアジア太平洋ディスレクシアフォーラム※に登壇する予定である。

アジア太平洋ディスレクシアフォーラム
 
藤堂栄子
星槎大学特任教授
facebook

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 ■ 連載:「気になる」子どもたちと私の関わり
         第5回 高専-大学編
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前回の記事では、中学生の時期を中心にお伝えしました。今回は、高校生のころの話をしたいと思います。

〇中学時代に引き続き担任に恵まれた高専時代

Yと一緒に都立高専の説明会に行った時のことを覚えています。高専は、ちょっと特別な学校で、集まる生徒もなかなか個性的な子が多かったと思いました。Yと同じタイプに見える子も多く、私はなんだか安心しました。

授業のシステムも、まるで大学のようでした。ほぼ2時間続きの授業で、実験や実習が多かったようです。なので、作業着が制服のようなもの。一斉授業の苦手なYにとって、とても合っていると思いました。その2時間続きの授業がYにとっては悲劇のもとだったのですが……。その話は後でしますね。

担任の先生は高専には珍しく女の先生でした。とても穏やかな感じで、でもきちんとしている方でした。担当教科は数学でした。そしてその先生についてもらったことも、Yにとってはとてもありがたかったんです。Yは、なぜか男尊女卑の考えを持っていました。誰が教えたわけではなく、うちの家庭では全くそうではなかったのに、不思議なものです。だから最初は女の先生で不安でした。でもそんな不安はすぐに解消されました。とても優秀な先生だったようで、Yにもそれがすぐにわかったようです。そして、誰に対しても公平な先生でした。数学が得意だったYは、とても先生を慕っていました。そして先生もよくしてくれました。

母である私にとっても、とても素敵な先生でした。トラブルがあっても、「今、この子たちは、コミュニケーションの練習をしている時期なんです」と言って、親にはほとんど何も知らせず、解決してくれました。

〇朝起きられずに単位が取れず中退…

大学と同様、単位が取れないと留年もありました。成績と出席日数についてはとても厳しかったのです。そんな中、朝起きられないYは、1~2時間目の授業の出席日数が足りなくなってしまいました。ほかの教科は、特に問題なかったので、本当に残念だったのですが、2年生から3年生に進級するときに、留年が決まりました。そしてそれは、私たち保護者にではなく、本人に先に伝えられたのです。

Yからの電話で告げられたのが、「俺、やめたから」とひと言。留年してやり直すのはプライドの高いYにはできなかったのです。唖然とした私ですが、仕方ないかと思いました。説得しても、たぶんだめだと。私以外は猛反対です。当たり前ですよね。でも「高専を辞めて、高卒認定試験を受けて電通大に行く」という明確な目標を見つけたYは、自分の考えを変えるつもりはなさそうでした。電通大からは著名なゲーム関係者が出ています。夢に向かって、意欲的に取り組もうとしているYを止めることはできなかったんです。

電通大に入ったら、ひとり暮らしをするということも彼の夢でした。そのために、すべてを自分で準備し、勉強ももちろんして、高卒認定試験を突破。そして、大学受験に臨みました。電通大のオープンキャンパスにも行き、自分に合った入試方法を聞いてきました。AO入試で見事に電通大に受かりました。夜間でしたが、それは全く問題なかったようです。「履歴書には、二部なんて書く必要ないしね」とどや顔で言っていたくらいです。そして二部にしたのは、学費が安かったという理由もあったようです。親孝行の息子ですね。

今となって思うことは、どんなに大変な子育てもいつかは楽になる。そして、子どもは、いつかは成長するということです。その場その場の常識にとらわれないでいることが大切だと思います。「高校中退なんてみっともない?」そんなことはありません。明確な目標があればいいと思います。みんなと一緒のやり方が良いわけではなく、本人なりのやり方があるんです。おもしろいものですね。今となってだから思えるかもしれませんが、小さいころからYを見てきて、私も腹をくくれるようになったのかなと思います。

〇進路を考えるときは広い視野で

発達に凸凹のあるお子さんは、どうしてもみんなと同じように進路を考えることが難しいと思います。何をきっかけにやりたいことを見つけるか、社会人となるための道筋をどうつかむか。そこが試案のしどころでしょう。でも何と言ってもキーになるのは好きなことだと思います。それも小さいころからのこだわり、それを活かすのが一番の近道だと思います。「公務員になって、趣味で好きなことをする」なんて言っていた時期もありますが、今も仕事で好きなことをしています。それは次の機会でお話しますね。

集団が苦手で、学校が合わないお子さんもいます。でも、大学って、おもしろいところです。いわゆる、自分で選び自分で考えるのが大学の学びの醍醐味。単科大学ならではの良いところ、総合大学ならではの良いところなど、大学のタイプによってもいろいろあります。そして、今は発達障害に特化したシステムを持つ大学もあります。大学の魅力は、いろんな世代の人と交流できること。Yは二部だったので、本当にいろんな学生がいたようです。一番仲の良かった人は、韓国から来たいくつか年上の留学生でした。年齢も、タイプもさまざまな人がいます。そして、電通大も自閉傾向のある人が多かったようで、居心地もよかったみたいです。Yの選択は正しかったのですね。

たくさんの進路選択の中に、大学や専門学校があります。そして、いったん高卒で社会に出てからでも、通信制の大学などで勉強することも可能です。広い視野で進路を考えること。若いうちは多少の遠回りはOKです。遠回りしている間に道が開けることだってあります。「苦労は買ってでもしろ」というではありませんか。うちの息子のように、一度高専を辞めたって、次の学びの機会が待っているんです。一度くらい、いや何度くじけてもあきらめないで、大いなる未来を拓くために、次のステップに向かってください。

原佐知子
オールアバウトガイド記事 プロフィールページ


■□ あとがき ■□--------------------------
藤堂さんの連載で、ディスレクシアという困りの現状に対する理解が深まったように思います。発達の困りは多種多様ですが、当事者や関係者の方々の奮闘で、社会で活躍できる場が広まっていくことを応援したいと思います。

次号は、3月27日(金)の予定です。

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