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発達障害の感覚の問題:感覚処理のアセスメント

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■ 連載:発達障害の感覚の問題:感覚処理のアセスメント
■ 連載:成人ディスレクシアの独り言:高校時代のこと
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──■ 連載:発達障害の感覚の問題
第3回 感覚処理のアセスメント
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感覚調整障害のアセスメントの際には、次のように発達障がい児の感覚刺激に対する反応と環境の両面を調べる必要があります。

(1) 質問紙によるアセスメント
まず、子どもの感覚処理の問題をとらえる際に質問紙である感覚プロファイル(SP)(Dunn, 2015)やJSI-R(太田ら, 2002)、学校版感覚運動アセスメントシート (岩永, 2014)などの質問紙で、子どもの日常生活における感覚刺激への反応を把握すると良いでしょう。

感覚プロファイルは対象の感覚刺激に対する反応を評価するために開発された行動質問紙です。感覚プロファイルには、乳幼児用、3-10歳用(日本版は11歳以上の標準データがある)、青年成人用(11歳以上)があります。乳幼児用、3−10歳用は保護者が、青年成人用は本人がチェックします。感覚プロファイルは、日常生活における様々な感覚刺激への行動反応について問いかける項目が含まれています。例えば、大きな音に対する反応や触れられたことへの反応などが質問項目に挙げられています。そのような項目の質問に保護者や本人が「しない」、「まれに」、「ときどき」、「しばしば」、「いつも」のいずれかの回答をします。そして、標準値と比較して対象児者のスコアの偏りが表示されます。

3-10歳版では「聴覚」、「視覚」、「触覚」などの感覚系ごとのスコアに加え、因子別スコア、象限別(低登録、探求、過敏、回避)スコアが算出されます。これらのスコアの偏りをとらえることにより、対象児者の感覚処理特性を把握することができます。例えば、スコアを集計した結果「感覚過敏」や「感覚回避」のスコアの偏りが大きかった場合には、不快な刺激を遠ざける対応を検討することができます。感覚プロファイルに回答することで、保護者が子どもの感覚の問題に気づけるようになることもあります。

学校版感覚運動アセスメントシート(岩永, 2014; 感覚面のシート)では、因子毎のスコアが算出され、学校における指導でどのような配慮が必要かがわかりやすくなります。拙著※において、それぞれの因子のスコアが高かった場合の対応を記載していますので、ご興味がある方はご覧ください。

※岩永竜一郎:自閉症スペクトラムの子どもの感覚・運度面の問題への対処法.東京書籍.2014
(詳細はこちら>>

(2) 観察によるアセスメント
行動の観察によって子どもの感覚調整障害をとらえることも必要です。音楽の時間にイライラしやすい、周囲が騒々しい時に気分が不安定になる、他の子どもとの接触を避ける、明るい場所では眩しそうに目を細めるなど、子どもの日常行動に感覚の問題が影響していないか注意深く観察することで、その問題に気付けることがあります。

なお、感覚調整障害によって起こる問題が、刺激が入ってからすぐに現れるものばかりではないことに留意する必要があります。子どもの中には嫌いな刺激を長時間受け続けた結果、しばらく経ってから不快反応を示す子どもがいます。そのため、観察時に注意が必要です。

(3) 環境のアセスメント
過反応の出現には多くの場合、環境要因が影響しています。そして、過反応の改善のためには環境調整が必要となることが多々あります。そこで、環境に関するアセスメントが必要です。例えば、子どもが過ごす環境について「教室はうるさくないか、視覚刺激が入り過ぎないか「気温はどうか、明るさはどうか」「周囲の人の話しかけの量、頻度はどうか」などを調べておく必要があります。

文献
Dunn W著(辻井正次監修:萩原拓、岩永竜一郎、伊藤大幸、谷伊織): SP感覚プロファイル.日本文化科学社.2015 (詳細はこちら>>

岩永竜一郎:自閉症スペクトラムの子どもの感覚・運度面の問題への対処法.東京書籍.2014 (詳細はこちら>>

太田篤志、土田玲子、宮島奈美恵(2002): 感覚発達チェックリスト改訂版(JSI-R)標準化に関する研究.感覚統合障害研究9: 45-46.014

岩永竜一郎(長崎大学 生命医科学域)

 

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──■ 連載:成人ディスレクシアの独り言
第7回 高校時代のこと 〜学校から逃げ出して〜
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読み書きができない、テストは常に白紙、札付きの不良。小学生のころから、「高校なんていけないだろう」という確信は、ありました。働くこと自体は嫌いではなかったけれど、「自分はみんなにとっての当たり前も望めないんだ」ということに、みじめさもありました。

ところが、中学時代の陸上での活躍が、そんな自分に、思いもしなかったチャンスを与えてくれました。複数のいわゆる「スポーツ強豪校」から、スポーツ推薦での入学を打診されたのです。「高校が、自分においでと言ってくれている。俺は高校生になれるのか」、もちろん、胸は高鳴りました。声をかけてくれた学校の中には、自分があこがれていた陸上の有名な高校の名前もありました。「あの学校の子は賢いねんで」と、地元で言われているような、名門校もありました。賢そうな高校生が着ていた制服を思い浮かべながら、「自分もあの中に入れるかもしれない」と思うだけでわくわくしました。

しかし、現実は厳しいものでした。
「ここは、、、入ってから勉強しないといけない。ここも、、、ずいぶん大目には見てくれるだろうけど、智では厳しいかなあ。。ここは、、、入試が作文かあ・・」
陸上部のY先生と担任が、眉間にしわを寄せていました。

声をかけてきた学校は、自分の読み書きの状況など知りません。「入学試験も、面接と簡単な作文程度ですから」と言われても、自分にはそれすら無理な状況でした。スポーツ推薦で「受ければ合格」とわかっていても、「受けれない」。合格しても、スポーツ中心の生活で、学習への期待値がそれほど高くない状況でも、おそらくはそれをクリアできない。そんな現実をあらためて突き付けられ、「ああ、本当に俺ってダメなんだ」と悔しかったことを、今も覚えています。

「でも先生、俺、理科とか社会とか聞いてると結構わかって、おもしろいんだけど」今ならそういってみたかったと思えます。しかし当時、そんなこともちろん言えません。だって、「だったらちゃんとテストを受けてみろ」と言われても、どうせ読めないし、書けないから、「ほらみろ、うそつき」になるのは、目に見えていましたから。当時は「わかった」とか「おもしろい」と思っているのは、自分の勝手な思い込みで、実際は全部0点が現実で、それが真実だと思っていました。

「ここだ、ここにしよう。ここなら、名前だけ書けば入れるし、入ってからも勉強しなくてもいい」そう言われて勧められた私立高校は、入学金も授業料も免除。寮生活で生活費も面倒みます。制服や必要なものも全部用意します。と言ってくれた。破格の条件。でも、自分の行きたい学校は、本当はそこではありませんでした。「ここは入ってから勉強しないといけない」と言われて弾かれた中に、あこがれの高校はありました。でも、読み書きのできない自分には、望んではいけない選択肢だったんです。

「名前だけ書けばいい」と言われて、本当に「名前だけ」を書いて終わった高校入試。結果は合格。高校生になれる。高校に入れる。といううれしさよりも、「名前を書くことしか求められない」自分へのみじめさで、いっぱいでした。できない自分が悪い。わかっています。わかっているけど、「馬鹿にされている」ようで、どうしても素直に喜べませんでした。

スポーツ推薦で、「全てが免除される」かわりに、求められるものは厳しかったです。中学卒業直後から合宿が始まりました。長時間の練習、理不尽なしごき。記録的に同じ競技の先輩たちの誰よりも優れていた自分は、即レギュラーでたくさんの大会にエントリーされ、宿舎とグラウンドをくたくたになりながら往復する日々でした。もちろん学校にも行きました。でも、スポーツ推薦の生徒が集められたクラスの授業は、ほぼ「休息の時間」でした。多くの生徒は堂々と寝ていました。トランプを始めるヤツ、漫画を読んでいるヤツもいました。でも、先生は注意するどころか、周囲に「寝ている人を起こさないように」声をかけるほどでした。しっかり休んで試合に備えろとの「配慮?」なのでしょうか。

先生自身も小声で黒板に向かって授業を進めていきます。誰も授業を聞いていない教室。語りかけられることも、投げかけられることも、期待されることもない授業。自分たちに望まれているのは、「競技での実績だけなんだ」という現実は、正直、辛かったです。改めて、中学時代、聞いているだけでも楽しかった授業のことを思いました。驚いたり、息をのんだり、納得したり。そんな体験は自分にはもうできないんだと思うと、「ここしか居場所がない」自分に、絶望的な気持ちになりました。

体の成長と、徹底した指導により、記録は短期間に驚くほど伸びていきました。いくつかの大学や企業名が具体的に語られ、「どこでも入れるぞ」と言われました。ありがたい環境だったと思います。望んでも、その記録が手に入らないチームメイトがたくさんいたこともわかっています。でも、自分は、「学びのない教室」にいることが、どうしても耐えられませんでした。できない自分が悪いとわかっていたけれど、寝たり騒いだりしているだけのクラスメートでさえ、自分よりはるかに読めるし書ける。この学びのない空間の中でさえ、自分は最低なんだということが突き付けられる日々から逃げるように、気づいたら学校を飛び出していました。

宿舎暮らしの特待生です。学校を飛び出せば、帰る場所はありません。結局、16歳になるより早く、自分は社会に出ることになりました。最初の数か月は、不良仲間家やたまり場を転々とし、テキヤでアルバイトをしながらしのいでいました。居場所を突き止めてやってきたのは、母親と、中学の時の恩師、Y先生でした。学校にもどるように説得されましたが、二度と高校の門をくぐることはありませんでした。「いけるはずがない」と望むこともしなかった高校にせっかく行けたのに、自分から飛び出してしまうなんて、「馬鹿な奴だ」とみんなに思われことでしょう。でも、当時の自分には、その選択しかできなかったんです。

井上智、井上賞子
ブログ「成人ディスレクシア toraの独り言」
(ブログはこちら>>

 

──■ あとがき
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すっかり秋めいてきましたが、読者の皆様にはお変わりありませんでしょうか?
つい今しがた、岡山についたところです。連休ということなのか、新幹線は満席でした。
岡山では3日間、日本認知症予防学会学術集会に参加します。発達障害、知的障害、精神障害と別々に考えがちですが、認知機能の障害は共通するものがあり、それぞれの知見が他の分野に寄与することもでてきています。

認知症もその共通する分野の一つということで、学会等に積極的に参加しています。加齢はだれしも関係するものですから、いつか本メルマガでも認知症予防について取り上げたいと考えております。

次回メルマガは、10月13日(金)です。