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発達支援の現場から:放課後等デイサービスの取り組み

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■ まえがき
■ 新連載:発達支援の現場から:放課後等デイサービスの取り組み
■ 連載:マジカルトイボックスとスイッチトイ
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──■ まえがき
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障害のある子の支援の最前線にある機関の一つ、放課後等デイサービスに、10数年前から取り組んでいる愛知県半田市の「生活支援センターわたぼうし」理事長の大田優子さんに、今号から寄稿いただけることになりました。

最近、放課後等デイサービスが急増している多くの地域とは異なると思いますが、先駆者として取り組んでこられた活動について、読者の皆様と一緒に学んでいきたいと思います。

 

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──■ 新連載:発達支援の現場から
第1回 「生活支援センターわたぼうしの想い」
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「児童福祉法に基づく指定通所支援の事業等の人員、設備及び運営に関する基準」が2017年4月に改正されます。主に変わるのが、放課後等デイサービスの人員に関する基準です。その改正内容や改正に至るまでの経緯に私なりの思いがあり、このメールマガジンの原稿のお話をいただいたことで、改めて整理して考える機会になっています。

私たち生活支援センターわたぼうしは、2003年4月、愛知県半田市で活動をスタートした法人です。今年10月には、法人設立から15周年の大きな節目を迎えます。今まで活動を支えてきていただいたみなさんに、改めて感謝の思いでいっぱいです。法人事業を開始した2003年は、折しも障がい者(児)施策が「措置から契約」へと大きな変革を迎えた年で、障がい者(児)施策と歩みを共にし、今日に至っています。

連載1回目は、法人設立に至るまでの経緯、法人の想いをお伝えしたいと思います。

私が生活支援センターわたぼうしを開設するに至った経緯を考えると、中学生時代まで遡ってしまいそうです。その時々の小さなエピソードが、すべて今の自分に繋がっている事を改めて感じていますが、「わたぼうしを始めたきっかけは何ですか?」と尋ねられた時にはこう答えています。

大学を卒業後、某ハウスメーカーに就職しました。バリアフリーという言葉が広く知られるようになり、住宅もハード面でのバリアフリーが一般化していく時代。銀行ローンや公的融資(当時は金融公庫)でも、バリアフリー住宅には融資金利や融資額が優遇される対策が取られ始めました。

出産を機に、それまでの住宅展示場勤務から住宅設計室へと異動になり、住む人にとっての本当の生活のしやすさは何だろう、と考えるようになりました。段差のないフローリング、トイレや浴室の手すり、ハード面での整備がすべてではないな、と。仮に家の中で過ごせたとして、地域生活者として当たり前に暮らすことには繋がらない。社会全体で変わっていく必要がないだろうか。そんなとき日本福祉大学が通信教育学部を始めると知り、もう一度(初めて?)社会福祉を学び直すために再入学をし、「制度で区切られることのない社会作りをしたい」と集まった通信の学生と共に生活支援センターわたぼうしを設立するに至りました。

2002年6月8日、任意団体として発足し、同年10月2日、愛知県の認証を受け特定非営利活動法人としてスタートしています。

生活支援センターわたぼうしは、子どもたちを対象にした事業が柱になっています。子どもたち、そしてその家族の皆さんにとって必要な場所でありたい、事業開始から15年変わらない思いです。

想いを支える根っこになっている出来事を二つ。

●できごと・その1

子どもを出産し、7か月になるまで育児休暇を取っていました。日中、生まれたばかりの息子と二人の生活。子どもが生まれたら布おむつで育てたいと思っていた私は、洗った布おむつをベランダに干すことを毎日の楽しみにしていました。近所に知り合いもいない場所での子育ては、実は孤独で、それでも楽しい毎日だと、どこか自分を奮起しながら初めての子育てに向かっていました。
※編者注 1995年頃 まだ生活支援センターわたぼうしの構想もない頃です

そんなある日、お散歩に行こうと息子を抱いてマンションの階段を下りていくと、見知らぬおばあさんが道を通りかかり、私に「このマンションの人かね?」と声をかけてくれました。そして、抱いていた息子に「この子が、あの赤ちゃんだね。かわいいね。元気そうだね、良かった、良かった」と目を細めています。「毎日、おむつがベランダに干してあるのを見て、赤ちゃんが産まれたんだな、どんな子かなって気になっていたんだよ。この子がそうだね、逢えて良かった、良かった」

それだけの会話でした。でも、私は本当に嬉しかった。一人ぼっちじゃなかったと。
今でも、あの日の嬉しさは忘れる事がありません。お母さんたちが決して一人ぼっちの子育てにならないように、そんな地域になるように、そしてわたぼうしがそんな場所になるように。

●できごと・その2   ※以下、わたっこ通信 2006年3月号 記事の転載

日増しに暖かくなってきました。いよいよ春本番ですね。春は出会いと別れの季節、わたぼうしでも繰り返されます。今年は、デイサービス※のRくん、Tくん、Sちゃんが小学校を卒業し、わたぼうしも卒業になります。小学校入学を機に、Iくんも卒業です。年度途中で退所していったわたっこクラブ※の友達もいました。また、3月末で退所予定の友達もいます。そして、来年度のわたっこクラブは14名の新しい友達を迎える予定になっています。
※編者注 デイサービスは当時の児童デイサービスわたぼうし、わたっこクラブは学童保育事業。

わたぼうしには、福祉大学の学生アルバイトの皆さんがたくさん在籍しています。彼らもまた、卒業し新しい社会に旅立っていきます。今年は、わたぼうし開所の年から子どもたちと一緒に過ごしてきたHくん、Mくんが卒業します。それぞれ、希望に満ちた旅立ちです、おめでとう。

自分自身を振り返ってみると、学生時代のアルバイトの経験がとても大切なものでした。学生アルバイトの皆さんが、わたぼうしでの経験を力にしていって貰えるなら、本当に嬉しい事だと思っています。そんな経験の場になれているだろうか、学びの場になっているだろうか、思いを巡らせています。

大田は多分、貧乏学生の部類に入る学生時代を過ごしました。いくつかのアルバイトを掛け持ちしながら生活していましたが、中でも特に印象に残っている話を一つ。
※編者注 1988年頃

保育所での夜間保育のアルバイトでの話。名古屋の保育所まで週3回通っていました。当然交通費がかかるのですが、その日は名古屋まで行くためのお金がありませんでした。加えて、お昼ご飯を食べるお金もありませんでした。電話でアルバイトをお休みする事を伝えると、「お昼ご飯は食べたの?」と、保育士さん。「食べていません」そう答えると、電車代を誰かに借りてでも早く来なさい、という返事が。友達から電車代を借りてアルバイト先の保育所に着くと、『あられちゃんへ』(当時あられちゃん、と呼ばれていました)と書かれたメモと一緒にお昼ご飯とパンや野菜、缶詰の袋が。カンパです、と、お金まで入っていました。保育所の職員の皆さんが準備してくれていたのです。

大学の授業料や生活費を、親の援助無しで賄っていくと決めて進学した大学。何となく、自分一人で頑張っていると勘違いしていた毎日。職員の皆さんの気持ちを素直に嬉しいと感じることに躊躇さえしてしまいました。

でも、本当に嬉しかった。気にかけてくれる人、助けてくれる人がいる事が嬉しかった。そうなると、もう泣けて泣けて仕方ない私。台所に隠れ、食事作りの職員さんにしがみついて、ずーっと泣いていました。「どうして良いのか分からない」と、うまく表現できない私に、「素直に受け取っておけば良いのよ。自分が嬉しかったこと、してもらったことは、いつか次の誰かにしてあげなさい。順繰りに巡らせていく事だからね。」そう言ってもらいました。

この出来事、自分の傲慢さを戒める機会にもなった気がします。決して一人で生きているわけじゃない、一人で大学生活を送っている訳じゃない、と。

あの日嬉しかったこと、今でも決して忘れていません。まだまだ、あの日の気持ちを誰かにあげられる私ではありませんが、生活支援センターわたぼうしが誰かにとって必要な場になることで、少しは昔の恩返しが出来るのかもしれないな、そう願っています。

生活支援センターわたぼうし開所に準備した保育備品、肋木や絵本、おもちゃは、お世話になった保育所からの頂き物です。学生時代の大切な経験は、私の人生の大切な出会いそのものでした。        ※わたっこ通信 2006年3月号記事ここまで

過去に書いた文章は、その時の私自身です。時折昔の自分に触れ、自分自身が初心に戻り、「頑張るぞ!」と気持ちを鼓舞している毎日です。

大田優子(生活支援センターわたぼうし)

 

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──■ 連載:連載:障害の重い子どものコミュニケーションを支える支援技術
(第2回)マジカルトイボックスとスイッチトイ
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●マジカルトイボックスとは

マジカルトイボックスの始まりは20年以上前にはじまった東京都立府中養護学校(現在の「府中けやきの森学園」)での保護者とのパソコン学習会です。保護者からのニーズを受け、学校の授業だけでパソコンを利用するのではなく、その活用について土曜日の午後に学習会をすることになりました。しかし、障害の重いお子さんにとってはパソコンだけでは難しく、玩具やスイッチなどのニーズもあり、それらも一緒に勉強もすることにしました。

マジカルトイボックスの活動の基本的な考え方として「障害が重くてもコミュニケーションしているはず、なんとかそれを豊かにできないだろうか?」というのがあります。障害の重い子どもたちが、今ある状態のままでは何も表現できないように見えても実は、周りの環境に対して様々な受け止め方をしています。しかし、表現する力が持てないことで何もわかっていないと誤解されてしまう。しかし、彼らに適切な表現方法を提供すればその力を伸ばすことも自分の思いを理解してもらうこともできるはず。マジカルトイボックスの活動はそのような思いから始めました。

学習会を続ける中で、保護者の方から「自分たちだけが、こういった事の恩恵を受けるのではなく、広くたくさんの人にも知ってもらいたい。」という要望が出てきました。しかし、どのような活動をすればいいかと模索していたところ、福岡市の福島勇さんたちが、起風会という会を開いていることをお聞きしました。そこで、さっそく見学に行き、同様のイベントを企画しようということになりました。最初は「起風会in東京」という名前で考えていたのですが、自分たちのオリジナルな活動にしようということで、学校内で行っていた学習会の「マジカルトイボックス」という名前をそのまま使うこととになりました。

●スイッチトイ

マジカルトイボックスの活動では、様々なスイッチトイの紹介や製作会などを行っています。さて、スイッチトイというのは何でしょうか?

市販の電動おもちゃなどを動かす為には、小さなスイッチを操作して動かしたり止めたりすることがあります。しかし、障害の重い子どもたちはそういったことは容易ではありません。そうなると、どうしても受動的に保護者や教員などが動かしているものを見るだけ、ということになってしまいがちです。

ですが、障害の重い子どもたちこそ、自分から周りに働きかけられる力を付けないと、意欲が低下してしまいます。そこで、市販のおもちゃを少し改造し、障害の重い子どもたちが操作できるようにしたものがスイッチトイです。

マジカルトイボックスが発足した20年以上前の頃は、そういったものはごくわずかで、特別支援学校でもあまり知られていませんでした。そこで、私たちマジカルトイボックスでは、玩具店などに行っては、子どもたちが楽しめて、自分で操作ができるように改造可能なおもちゃはないかと探し、イベントで紹介をしていきました。

それと併せて操作できるスイッチなども製作しています。幸いなことに、イベントで作成していたスイッチや改造したおもちゃ類は、いくつかの企業などが製品化して販売してくださいました。

たとえば、株式会社エスコアールから販売されている「クリップアーム棒スイッチ」はその1つです。
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エスコアールではこのほかにも、様々なスイッチトイを販売しています。
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さて、こうしたスイッチトイを活用する際に気をつけなければならない点があります。関わる大人は、操作をすることで、何か達成することが重要だと考えます。ある意味それも大切なのですが、それが強く出過ぎると、本人の意思を見落としてしまいます。私はそれを「こっくりさん」とか「ゴッドハンド」と呼んでいます。子どもの手を持って、スイッチを押し、結果を求めるのです。

香川県立高松養護学校の谷口先生はこれをとても分かりやすく絵に描いています。
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スイッチトイなどの活用については、マジカルトイボックスが作成した「アイデア&ヒント」シリーズに詳しく書いていますので、機会があればご覧ください。

『マジカルトイボックスのアイデア&ヒント+77 障がいの重い子の「わかる」「できる」みんなで「楽しめる」』金森克浩著、エンパワメント研究所
(詳細はこちら>>

『マジカルトイボックスの教材&アイデア100連発 障がいの重い子の「わかる」「できる」みんなで「楽しめる」』金森克浩編著、エンパワメント研究所
(詳細はこちら>>

金森克浩(国立特別支援教育総合研究所)

 

──■ あとがき
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次回メルマガは4月7日(金)です。