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発達凸凹の子育て:兄弟姉妹として生きるということ

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■ 連載:幼児期に人工内耳手術を受けた聴覚障害児の気持ち
■ 連載:兄弟姉妹として生きるということ
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──■ 連載:聴覚障害のある子を育てる
(第5回)幼児期に人工内耳手術を受けた聴覚障害児の気持ち
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今回は、小さな我が子に人工内耳手術を受けさせる際に大きな苦悩を感じた自分自身の体験をふまえて、私がおこなった心理学研究(荒木友希子, 2014, 障害のある子が育つということ −幼児期に人工内耳埋め込み手術を施行した聴覚障害児の事例から考える−, 子育て研究, 4, 20-31.)をご紹介したいと思います。

この研究は、生まれつき「聴こえない」子どもは「聴こえる」親のもとで自らのアイデンティティをどのように作り上げていくのか考えようとしたもので、ひとりの女の子にインタビューをして質的分析をおこなった事例報告です。

○研究協力者のAちゃんのこと
公立普通小学校に在籍し、難聴学級に週に1回通級していました。インタビューは2回おこない、1回目のときは4年生、2回目は6年生でした。

Aちゃんには先天性の両側重度聴覚障害がありました。生後4ヶ月時に聴覚障害が判明し、生後6ヶ月時に補聴器の装用を開始し、1歳時から県立ろう学校の乳幼児教育相談の利用を開始しました。母は手話を用いてAちゃんとコミュニケーションをとっていましたが、補聴器装用効果があまり認められず、3歳6ヶ月時に右耳に人工内耳手術をおこないました。年少時に県立ろう学校幼稚部から地域の私立幼稚園へ移りました。また、術後のハビリテーションは、隣県にある聴覚障害児を対象とした療育施設において受けています。

家族構成は、父、母、弟の4人家族で、Aちゃん以外すべて聞こえる人でした。母は、非常に勉強熱心であり、難聴や人工内耳に関するいくつかの勉強会の会員となっています。弟は、 Aちゃんと同じ小学校のひとつ下の学年に在籍していました。Aちゃんは家族とは主に音声言語でコミュニケーションをとっていました。

○Aちゃんにインタビューした内容
質問項目はあらかじめ準備しておき、Aちゃんの様子を見ながら質問をおこないました。1) 人工内耳手術をして良かったと思うか, 2) もし自分の子どもが自分と同じ耳を持って生まれてきたら、自分と同じように手術をして育てたいと思うか, 3) 学校の様子はどうか, 4) 人工内耳をつけていることを学校の先生や友達にはどのように伝えているか, 5) 聞こえる友達と自分は違うと感じることがあるか, 6) なぜ自分だけ聞こえないのかと思ったことはあるか, 7) なぜ自分だけ人工内耳をつけないといけないのかと思ったことはあるか, 8) 聞こえない自分のことをどう思うか, の8項目を設定しました。インタビュー1回目、および、2年後の2回目の両方のインタビューにおいて、同じ質問項目8つについてそれぞれ聞き取りをおこないました。

○小学校4年のときのAちゃんの人工内耳に対する考え方
Aちゃんは「手術はしない方が良かった」と話し、保護者の意思によっておこなわれた手術に対して否定的感情を抱いており、人工内耳手術は本人の現在の希望には反していたことがうかがえました。人工内耳を装用しても聞こえにくさや違和感を感じていました。聴覚障害児が人工内耳を装用しても健聴者と同じ聞こえにはなりません。実際にAちゃんは人工内耳を装用しても40dBという軽度難聴レベルの聞き取りでした。そのため、学校という騒がしい環境における健聴者の友人とのやり取りにディスコミュニケーションが生じるのも無理はありません。健聴者にとって聴こえることはごく当たり前のことであり、聴覚障害児の聴こえにくい世界にはなかなか想像が及ばないのが現状です。Aちゃんが「人工内耳手術をしない方が良かった」と思っていたのは、普通学校における人工内耳を用いた音声言語でのコミュニケーションに困難を感じていたことが一因であるかもしれません。

○小学校6年のときのAちゃんの人工内耳に対する考え方
2年後のインタビューでは「人工内耳はしてもしなくても同じ」と述べ、人工内耳に対してニュートラルな感覚を持つようになり、以前の否定的感情が変化していました。人工内耳そのものにはそれほど大きな意味はないこと、人工内耳手術の実施に関しては、装用する立場の人が自らの意思で判断すれば良いと考えていました。また、Aちゃんの通う小学校では、人工内耳装用者は本人を除いて皆無の状態であることから、人工内耳の装用に疑問を覚え、人工内耳装用者としてのマイノリティである自分を認識していました。

このように、Aちゃんの人工内耳に対する認識が否定的なものからニュートラルなものに変化し、人工内耳そのものには大きな意味はないと考えるようになった理由として、後述する結果から示されたように、Aちゃんが健全な自己肯定感を持ち、人工内耳を装用しながらも聴覚障害者としてのアイデンティティを形成したことが大きな要因であると思われます。

○Aちゃんの学校生活
4年生のときは「中学校はろう学校へ行きたい。」と述べていました。通常学級でのインテグレーション教育※を受け、勉学に対する意欲は強いものの、中学校での勉強の難しさに不安を感じており、これ以上健聴者の世界で生活を続けていくことに困難さを感じているため、ろう学校への進学を希望したと考えられます。
※インテグレーション教育 特別支援教育の専門用語で、障害者が健常者と同じ場所で教育を受けることを意味します。統合教育や統合保育ということもあります。Wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/統合教育

2年後のインタビューでは「ろう学校の中学部へ進学することに決めた。」と述べ、保護者や教師に相談し、自らの意思によってろう学校への進学を決断したことが示されました。「ろう学校のお友達とメールでよくやりとりしている。」「手話の方が自分らしい。」と述べたことから、ろう者の友人との楽しく豊かな交流の経験をふまえ、自分のアイデンティティは、手話が母語であるろう者の世界にあると考えていることが推測されました。

○Aちゃんの友人関係
4年生のときは「聞こえない友達と遊ぶ方が好き。」と述べ、健聴者よりもろう者の友人との交流を求めていることが示されました。2年後のインタビューでは「聞こえる人とは本音で話ができない。」と述べ、健聴者と音声言語でのコミュニケーションには違和感があること、ろう者と手話でコミュニケーションをとることが自分らしいと感じていることが分かりました。このように、2年間でろう者の友人の存在の大きさが非常に大きくなってきたことも、Aちゃんの障害受容や聴覚障害者としてのアイデンティティの形成に大きく役立っていると推測されます。

○Aちゃんの障害受容
4年生のときは、もし自分の子どもがAちゃんと同じお耳を持って生まれてきたら、Aちゃんと同じようにお耳の手術をして育てたいと思うか、という質問に対して「手術はさせない。ろう学校に行かせる。」と答えました。生まれ持った障害をそのままの状態で受け入れたいという願いを持っており、自らの聴覚障害を偽りなく受容したいと思っていました。

一方で、なぜ自分だけ聞こえないのかと思ったことはあるか、という質問に対して「思わなかった。お話できるし。」 と答えました。 幼児期に手術を受けた人工内耳を活用し、豊かなコミュニケーション環境で養育されてきたため、家庭内での阻害感はまったく感じずに成長してきたことが示唆されました。

聞こえない自分のことをどう思うか、という質問に対して「好き。」 と答えました。 家族と音声でのコミュニケーションが成立し、ろう者の友人と手話でのコミュニケーションによる深い交流を基盤とした、健全な自己肯定感を保持していることが推測されます。

2年後のインタビューでは、「お母さんは、人によって違うんだよと言ってくれた。それを聞いて安心できた。」と述べ、Aちゃんは母親と強い信頼関係で結ばれており、母親の障害受容を本人も理解することができたため、本人も葛藤することなく障害受容ができたと思われます。また、「聞こえる人と違う耳を持っている」と述べ、聴覚障害を持っていることについて、劣等感を抱かずに受容できていることが示されました。

○まとめ
聴覚障害を持って生まれたAちゃんが3歳のとき、お母さんは「おててだけではなく、お口でもお話したい」と願い、お母さんの考えで、Aちゃんの頭の中に人工内耳の電極を埋め込む手術を受けさせました。そして、一生懸命リハビリテーションに励み、「聴こえる」子どもが通う小学校へ入学しました。本来は「聴こえない」人であるのに「聴こえる」世界で学校生活を送ることは、人工内耳を活用しても大変難しいことです。10才のAちゃんにインタビューした時、「聴こえる」お友達とやり取りすることの難しさをお話してくれました。また、Aちゃんは、「聴こえない」お友達とも交流する機会をお母さんから与えられていました。2年後に再びAちゃんにインタビューした時、Aちゃんは、「自分は聴こえる人とは違う耳を持っている」と話し、中学校はろう学校に決めたことを教えてくれました。そんなAちゃんをお母さんはあたたかく認めていることも分かりました。Aちゃんへのインタビューを通じて、障害のある子が健全に発達していく過程には何が重要であるのかを考えることができたのではないかと思います。

幼児期に人工内耳手術を受け、小学校生活を「聴こえる」世界で過ごした後、これからの中学校生活を「聴こえない」世界で過ごすことを自分で決めたAちゃん。今後Aちゃんが実際にろう学校中学部に入学し、「聴こえない」世界で過ごしてみて、どのように感じ、将来の高等学校への進学をどのように考えていくのでしょうか。Aちゃんのその後についてまたご報告できる機会に恵まれれば、嬉しく思います。

金沢大学人間社会学域人間科学系
准教授 荒木友希子

 

──■ 連載:母親として発達凸凹の子育てが面白い!楽しい!を広めたい
第4回 兄弟姉妹として生きるということ
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発達障害のある人が抱える困難は様々ですが、発達障害のある人の兄弟姉妹が直面する問題や悩みもそのご家庭によって様々です。うちのケースの話がお役に立つご家庭と全く当てはまらないご家庭があるとは思いますが、何かの参考になればとご紹介させていただきます。

うちには、ASD(自閉症スペクトラム障害)と診断された上の子と、診断を受けていないけど凸凹はありそうな3歳年下の子がいます。

上の子の発達障害をどう受け止めるべきか悩んでいた時に、下の子の妊娠に気づきました。

また同じ障害を抱えて産まれてくる可能性の方が大きいだろうなという気持ち、二人も障害のある子を育てることが出来るだろうかという不安、妊娠によって、ようやく掴んだ仕事の契約が切られることへの失望感の中、産むことが良いことなのかどうか、かなり悩みました。

私の兄にも発達障害があり、そのことが私自身の人生にとても影響を及ぼしていたことも、二人目の妊娠を戸惑う理由でした。

9歳年上の私の兄が発達障害と診断されたのは、私が自分の第一子が発達障害だと知ってからです。うちの子と、私の兄の幼少期とが似ていると気づき、兄に専門の医師に診断してもらうことを勧めたのがきっかけです。兄は、その時に40歳を過ぎていました。それまでの診断は、躁鬱病でした。これまでの生きづらさは発達障害だからだったということがわかり、鬱は、二次障害だということで、随分気持ちが楽になったようです。

私自身も兄が原因で辛い経験も多く、かなり恨んでいましたし、二度と兄と会いたくない、かかわりたくないとさえ考えていました。ですが、兄が我が子と同じ発達障害で辛い人生だったのだと理解出来てから、兄を憎む気持ちがなくなりました。

兄は、幼い頃から言葉も早く、優秀で全く勉強しなくても成績はいつもトップクラスでした。唯一の欠点は、体育教師との相性の悪さだけ。体育教師を見下していた兄は、保健の授業を抜け出して高校の屋上で哲学の本を読んでいました。兄が体育教師に反抗的だったせいで、同じ高校に通った私は、体育教師から「あの生徒の妹か」とかなり酷い仕返しのような嫌がらせを受けました。

兄は、大学受験では、勉強らしい勉強をせずに偏差値の高い大学の法学部に合格。卒業後は、大学院への進学を希望しましたが、家庭の経済事情でいやいや就職し、学歴が良かったこともあり、大企業に就職が決まりました。

都心で一人暮らしを始めた兄の異変が知らされたのは、半年後のことでした。

新歓コンパが行われた翌日に、会社辞めたそうです。会社に入って3日目でした。それから半年間、ずっと一人で都心のアパートに住み、電気もガスも水道も止められ、栄養失調で倒れていたところを家賃の請求のために訪れた大家さんによって発見されました。

しばらくの入院のあと、実家に帰ってきた姿は、少年期に周囲から神童とちやほやされていた美少年とは、別人でした。その時の診断は、躁鬱病です。私は当時、中学生で、変わり果てた兄の姿に恐怖を感じました。

その予測が当たり、近所では、頭のおかしい男がいるという噂が立ち、毎日のように警察官が来ました。

私の通う中学校では、私は、きちがい、ばい菌が感染すると言われるなどのひどいいじめを受けました。兄のような家族がいては、私は、就職も結婚もできないと悩みました。

そのとき、母は、あなたを拒む仕事はしなくていいし、そう言ってあなたと結婚したくない人とは、結婚すべきではないと、いうだけで、中学生、高校生時代の私には、母の言葉の意味は理解できませんでした。

その時、私が頼るものは勉強を頑張って、実家から出ること。
そのことだけがモチベーションで猛勉強をし、大学への入学と就職で実家を離れました。二度と兄には影響されない人生を送ろう、とさえ思いました。

実家を離れ、就職し、海外に行って結婚し、できた子供が発達障害でした。そこで発達障害に出会って、親として発達障害について学んでいくうちに、兄も発達障害ではないかということに気づいたのです。

ここで、私の二人目の妊娠に戻ります。

実の子と兄の発達障害について知識が増えれば増えるほど、自分にも凸凹があり、私自身も凸凹のある人間に魅力を感じ、周囲には、凸凹な人があふれているのではないかと気づくのです。

マスコミやエンターテイメントの世界で仕事をしていたこともあり、世の中は、凸凹の人達の活動で、魅力的になっているし、もし、生まれてくる子が障害を抱えていても、どんな子でも価値があると気づいたのです。

兄が発達障害で、嫌な経験もあって、涙が枯れるほど泣いたけど、発達が凸凹な人の生みだすものは面白くって素晴らしいし、私にとっては、魅力的に感じています。それに、ほとんどすべての人に多かれ少なかれ凸凹があり、その具合が険しいか、なだらかかの違いがあるだけではないでしょうか? また、それが障害なのか単なる凸凹なのかは、時代や環境、文化によっても変わってくると思います。このように考えると、二人目がどんな子でも人生を楽しめる自信が持て、二人目を出産しました。

産んでみると、二人の子どもの育児は、しばらくの間はある意味、死闘でした。禿げましたし白髪も増えました。凸凹育児は大変です。でも、観点を変え療育の知識を身につけると、凸凹児の育児を面白く感じることができ、だんだんに育児を楽しむ余裕ができていました。

いま、下の子は、障害のあるきょうだいを持つ子として、試練の時期です。
一般的な兄弟姉妹関係を築くのは難しいことを受容しなければならない時期です。また、私が経済的に兄を支えているように、そうなるかもしれない将来を見据えた進路選択が必要な時期にきています。日本では、発達障害の人の知能が一般的な場合、福祉的な支援が受けられず、家族による経済的なフォローしか道がないのが現状です。兄の障害に悩んだ私は、母親としてだけでなく、兄弟姉妹としての苦悩も理解でき、下の子を見守るだけでなく、兄弟姉妹の仲間としてアドバイスしています。

知的障害がない兄にしても、療育で能力を伸ばし通常教育を受けるようになった発達凸凹の人にしても、利用できる福祉政策はほとんどありません。自己責任でその家族が、進路や進学先、就職先を見つけるか作り出すしかないのです。

だからこそ、起業し、生きる道を探っている親がじわじわ増えてきているのだと思います。発達凸凹の子供たちを育てた親や、その兄弟姉妹は、真剣です。いつまで家族を支えられるかわかりませんが、できるだけ長生きし、凸凹の人たちを支え、生きていく道を見つけ出すためにも、自分たちが生きてきたノウハウや凸凹子育てを後世に伝えていく必要があると考えるのです。

一つ残念なことを耳にすることがよくあります。
幼児期の療育で認知を伸ばすと後々福祉の恩恵を受けられなくなり、障害者枠として雇用されなくなるので、認知を伸ばすことをあきらめるというご家庭があるのです。しかも、それは、公的な保健センターや療育施設の職員からのアドバイスでそのように考えるようになった場合があるそうです。

ご家庭の考え方は、様々で自由です。ただ、認知を伸ばすことで可能性が狭まることはあってはならないと思います。また、そういうことをアドバイスする人は悪意はないでしょうが、人の知的欲求を伸ばすことにバイアスをかけようとしていることに気がついていないのは、不思議なことにしか思えません。親として兄弟姉妹として、障害をもつ人たちの生きる権利や知る権利が阻害されないことを望みます。

兄は50歳代で、収入はほとんどないので、教員だった母の年金や私からの経済援助を受けています。一人暮らしで瀕死の状態で発見されたころの半年間、年金が未納だったことから、障害年金を申請することができませんでした。しかしながら、発達障害と診断されてから前向きになり、哲学の分野で学位を取得したのち、在野の研究職として生きています。兄が子供のころから支えてくれた友人が5人いて、今でも定期的に交流しています。

兄が子供の頃はもちろん、壮年期になるまで、日本には、兄のような知的に高いタイプの人の療育や支援はありませんでした。もっと早く、何らかの支援があれば、兄の人生は、変わっていたかもしれません。

私が発達障害の子供を持って療育の組織を立ち上げたのは、兄の人生を無駄にはしたくなかったというのも大きな動機の一つです。母は、どうにか長生きして兄を支えたいと話していますが、私は、療育の活動で同じ障害の子供たちを育てる母親たちに出会い、一緒に親による療育活動を進めていくうちに、将来的には、福祉にあぶれたり、福祉を必要としない発達凸凹の大人のためのホームなどのセーフティネットを手掛けたいと計画中です。

次回は、発達障害のある子どもの兄弟姉妹への具体的な子育てや対応方法についてお伝えします。

あしたん
スーパーバイザー
こころことば教室 (ブログはこちら>>

──■ あとがき
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突然ですが、メルマガ本文の体裁を変えてみました。スマホのメールアドレスで登録される購読者の方が多いことから、スマホ画面でのメルマガの表示に、文中の改行が邪魔をして読みにくい画面になっていることを避けるために、段落区切り以外では文中に改行を入れないことにしました。

テキストエディタで読まれている方には、表示の際の、行の長さの設定変更等、お手数をおかけしますがご了承ください。

次号は、通常より1週間先の8月26日(金)の刊行とさせていただきます。読者の皆様におかれましては、よい夏休みをお過ごしになられますよう!